(5)新たな車両の紹介等
その2 アブト式電気機関車と今後の課題など
1.アブト式電気機関車
ED42
碓氷峠のアブト式電気機関車はED42型28両が、1963年(昭38年)に粘着運転のEF63に切り替えられるまで最後の活躍をしていました。アブト式はご存知の通り日本では線路中央に設置された3枚のラックレールをたよりに、車両に取り付けたラックピニオンを噛み合わせて急勾配を上下する方式で、現在日本では唯一、大井川鐵道井川線のアプトいちしろ駅〜長島ダム駅間で採用されています。66.7‰の急勾配をもつ碓氷峠では1893年(明26年)の開通から75年間、電化や車両の大型化等の改良を繰り返しながらアブト式を使ってきましたが、保守に多大の経費が掛かる上、電機でもスピードは時速17-18qと遅く、牽引定数も小さかったため、戦後10年も経つと増大する輸送需要を賄えなくなってきました。このような状況を解消するため、幾多の技術的な困難を克服して粘着運転に切り替わりましたが、急勾配は変わらず、引き続き全ての列車は補機が必要となり、その専用補機用のEF63は新幹線が開通する1997年まで活躍しました。
ED42型は以前の連載でも書きましたように、筆者の原風景である煉瓦の構造物に囲まれた碓氷峠の光景の中での主役の車両で、その模型は実物が廃止された翌年の1964年に天賞堂が発売した初期製品から購入し増備を続けましたが、1998年には2003年に廃業されたピノチオが発売を開始しました。天賞堂製は初期のモーターの大きさの関係からか車体幅が1.5oほど広がっていましたが、ピノチオ製はスケール通りとなり雰囲気の捉え方も良かったので、改軌の困難さもあまり考えずにとりあえず16両購入してしまいました。購入後20年ほどそのままお蔵入りとなっていたのは、勿論13oへの改軌の難しさにありました。オリジナルの製品は床板中央にCN22両軸モーターを置き、金属製のユニバーサルジョイントを経て両側のダイキャスト製ギアーボックスに伝動、平ギアーで3回減速して下部に落し、スパイラルギアーでそれぞれの動輪を回しています。
内側台枠のボギー台車は13o化すると台枠の内側は7o程度になり、オリジナルのギアーボックスは使用できず、スコッチヨーク連動なので動輪を改軌するにもすべて位相合わせが必要です。また将来ある程度の勾配を上らせるとなるとやはり全軸駆動にしたいところです。改軌する両数も多く、効率的で精度が高い改軌方法が思いつかなかったので珊瑚模型店の小林さんに相談した所、10年程経った2016年に、動輪及び主台枠、ギアーボックスは新製し、ラック台車やモーター、金属製のユニバーサルジョイント、ブレーキシュー、スコッチヨーク、ジャック軸及びカバー、第3軌条集電靴等はオリジナル部品を使用する案が提示されました。オリジナルの動輪はコイルバネによる軸箱可動にも拘らずスコッチヨークで連結されたジャック軸は非可動(実物は当然可動)の為、軸バネが撓んだ時に回転が阻害される問題が有りましたが、この案では軸箱は固定としてその問題をなくし、スコッチヨークを介して全軸駆動とするとのことでした。16両分64軸も位相を合わせて振れなく打ち込みをする自信も無く、また市販品で使用できるギアーボックスも見当たらなかったので、動輪まで新製するとコストは掛かりますが、ED42の入線により当レイアウトに必要な主力車両がほぼ揃うことも考えて部品の製作をお願いすることとしました。
完成した動輪はロスト輪心で鋳物の雰囲気が出ていて良い感じです。主台車の枠のみ組立てた状態で受け取りましたので、オリジナルの製品から必要な部品を取り外し、再度半田付けを繰り返して下回りを組上げ、再塗装しました。最初に改軌した4両を色々テストした結果、CN22モーターは比較的大型なためモーター軸とギアーボックスの軸が上下にずれ、伝動するユニバーサルジョイントが斜めとなりノイズの原因にもなっていました。この状態を解消するためモーターを小型のキャノン製LN12 に交換し、ジョイントもイモンのシリコンチューブに交換したところ、カーブ部も含めスムースに走行するようになりました。全てのED42を全軸駆動としたことも有り、モーターはやや小型になりましたが牽引力は十分です。また、軸箱は非可動になりましたが、集電等の問題も無いようです。走行装置が完成したところで多少ウェイトを追加し、車内の一部には薄緑に着色した紙で機器のカバーを表現してみました。
ED42は1934年(昭9年)から14年間に亘って戦後まで28両が製作されたため、いくつかのタイプが存在し、ピノチオでも5種類のタイプが発売されましたので、実物の比率にほぼ合わせてそれぞれのタイプの下記の番号機を入線させました。各タイプの名称は模型のタイプをベースに便宜的につけたものです
1.初期型 (1・2号機)
このタイプはサンプル輸入されたスイス製ED41 をベースに、1934年に製造された試作要素のある4両(1〜4)で、第2エンドの昇降用の手摺の高さが低く、エアーフィルターは荒くなっています。
2.一次量産型 (5・7・8・11・12・14・15・17号機)
初期型の実績を基に1936年から1940年にかけて量産された14両(5〜18)でデッキ手摺は高いものとなりましたがエアーフィルターは荒いままです。
3.二次量産型 (19・20・22号機)
1942年から1944年の戦時中に増備された4両(19〜22)ですが、まだ戦時設計には成っておらずエアーフィルターは改良型の目の細かいものになっています。
4. 戦時型 (26・28号機)
1944年から1946年まで戦時規格で製造された4両(25〜28)です。所謂戦時型のエアーフィルターは荒いものに戻り、窓枠やエアーフィルター枠の角のアールも無くなりました。屋根上の採光モニターも廃止され、通風機は簡易的な丸みを帯びたものに変わりました。実車は車体の外板が薄くなったためベコベコで、直ぐに見分けがつきます。
5. 戦時型最終タイプ (23号機)
戦後の1947年に戦時規格で製造されたED42最後の2両(23〜24)で、ピノチオ製ではエアーフィルターは細かい仕様ですが、実車は荒いものが取付けられていたようです。
漸く夢にまで見た4両のED42がせわしなくスコッチヨークを回し、機関車ごとに音色の異なる四声の汽笛を吹鳴しながら行き交うあの軽井沢駅の情景を再現することができました。これでこのレイアウトを長期に亘り製作してきた所期の目的をほぼ達成したので、今後は当時を思い起こしながら更に運転を楽しんで行きたいと思っています。
2.今後の車両の増備
蒸気機関車は本線用のD51とD50は既に配備されていますので、あと必要な形式は貨車の入換に活躍していたC12のみとなりました。やはり軽井沢駅構内の情景には必要ですね。電気機関車もED42が活躍していますので、この時代を表現するためにはこれ以上必要な形式は無いのですが、模型的な興味としては本邦初の電気機関車EC40, 初の国産電気機関車ED40と、2両のみスイスから輸入された電気機関車ED41でしょうか。これらのアブト式の一癖も二癖もある機関車たちの一部のキットはかなり昔に購入しているのですが、その他の機関車も含めて全て内側台枠でロッドやスコッチヨーク伝動のため、13oに改軌するにはかなり手間がかかりそうです。
3.今後の課題
2005年7月に掲載した今後の課題の中で、軽井沢駅構内の機関区部分やターンテーブルの設置、駅ホーム上の上屋の設置、畑の作付け等大きな部分については当会の会員や兄、妻など多くの協力を得たお蔭でほぼ実現することが出来ました。またそこには触れていなかったのですが、草軽電鉄の軽井沢駅構内への引込線部分の増設や、念願の蒸気機関車とED42の入線も果たし、かなり完成に近づいてきました。
今後の課題としては、給水塔や円形の煉瓦倉庫、煉瓦造りの3線機関庫の設置、アブト式電気機関車用第3軌条の設置とその他のアクセサリー類の追加、人の配置が考えられます。人の配置については、ややもすると却っておもちゃらしくなってしまうので、気を付けなければなりませんね。草地の部分も最近よい素材が色々発売されているようですのでこれから研究してみたいと思います。
今後レイアウトや車両に進展が有った時には、また改めてご紹介させて頂きたいと思います。
(2021年1月 M.F)