(7) 地形、地表、車道の製作

1.地形の製作

 前述の通り、このレイアウトは矢ヶ崎信号所から軽井沢駅を経て中軽井沢駅辺りまでを 題材としていますので、基本的には平坦な地形となります。アブト時代の実物では、 碓氷峠を登り終わってレンガ造りの矢ヶ崎変電所脇の信号所から複線となり、 地形に沿ってわずかな下り勾配で軽井沢駅に向かいます。 昭和30年代のこの辺りは民家も少なく寂しい所でしたが、碓氷の26個のトンネルを抜けた後で、 右手には雄大な浅間山が聳え、闇に慣れた眼には大変開けた風景に見えました。 軽井沢駅を出て直ぐに二十間道路(今のプリンス通り)の踏切を渡ると、 平坦な線路からは左手に木々の間を通して晴山ゴルフ場が見え、 右手には10〜20mの林越しに舗装されて間もない国道18号線に僅かな車が走っていました。 この辺りからは右手に離山という小山があるため浅間山は暫く姿を消し、 左右の落葉松の林の中に点在する古色蒼然たる別荘が見え隠れします。 林を抜けやや下り勾配になると同時に目の前が開け、高原特有のキャベツやレタス、 とうもろこしの畑を左に、再び姿を現した浅間山を右に見ながら中軽井沢駅の構内に入る手前で 湯川という川を渡ります。軽井沢は太平洋に出る川と、日本海に注ぐ川の分水嶺に当たりますので、 この辺りに大きな川は有りませんが、湯川は白糸の滝を水源の一つとし、この先千曲川、 信濃川と名前を変え最後は日本海に注ぎます。川幅は狭いのですが、 湯川には明治の時代からの石積の橋脚に載った4連のガーダー橋が架かっており、 現在でも上り線に使われています。中軽井沢駅に近づくと地元住民の住居や商店が増えてきます。


 このレイアウトではこのような情景を念頭に置きつつ、駅部分以外のボード幅30cm、 駅構内及びカーブ部分のボード上の高さ30mm、 直線部分45mmを考慮しながら模型としての情景の変化を取り入れるべく、 1/20の図面上に大まかな地形を考えました。 基本的には線路の曲線や勾配は地形に左右されますので、それが不自然に見えることにならないよう、 逆の順序で地形を考える必要があります。 その際ボード上の高さの制限が地形を平坦なものにしがちなので、 直線ボードのうち一枚だけはボードを重ねる際45mm高の枠をかませることにより、 ボード上の高さ90mmを確保して、 ある程度の高さの丘を作って少しでも起伏ある地形を表現しようと試みました。 私はどうも貧乏性なのか、土地を無駄にしておくことを潜在的に避けてしまうようで、 人の手が入っていない所謂遊休地と呼ばれる場所は結局あまり残らず、 起伏のある部分以外は後でキャベツ、レタス、 とうもろこしなどの作物の模型を作る手間のことも考えず、 畑を多く作ってしまいました。本当はもう少し別荘等の建物を建てたり、 テニスコート等軽井沢らしいものも作ったりしたかったのですが、 それらを作るには土地が足りず断念しました。  地形の基本部分はできるだけ重量を軽減するため10mm、20mm、 30mm厚の発泡スチロールの板を使用し、大まかに切断してから木工ボンドで貼りかさね、 カッターナイフで整形しました。また畑や道など一部には余ったバルサ材やコルク材を使用しました。 なお地形が線路の路盤より高くなる部分は、路盤と地形の間に車体工作用方眼紙で、 幅4mm深さ4mm位の水路用の側溝を作りました。この側溝の製作は結構面倒なのですが、 実感的な線路を表現する上でのポイントだと思います。

2.地表の製作


 固定レイアウトでは通常はこの大まかな地形の上にプラスターを塗るか、 プラスターを染ませたティシュペーパーをかけ細かい地形を表現しますが、 今回は少しでも重量を軽減するため、地表の細かい部分は紙粘土で表現しました。 紙粘土には色々な種類があるようですが、今回は乾燥後も陶器のようにカチカチになるものでなく、 乾いても紙のような手触りが残り、 爪で簡単に傷がつくようなタイプのもの(対象年齢3歳以上との注意書きあり)を使用しました。 粘りを出すため水で濡らした手でよく練った紙粘土で、発泡スチロール等の継ぎ目や凹凸を埋め、 細かい畦道や地形の表情を付けていきました。 乾燥してもこのままでは表面がのっぺりしておりおよそ実感的でないので、 土のざらざら感を出すため木工ボンドの水溶液を地形の表面に刷毛で塗り、 その上からトミックスのプラスターを茶漉しで撒きました。 ボンドの水溶液に対して撒く量が少ないとざらつかず、 多いとひびが入ったり固着しなかったりしますのでコツが要ります。 撒き始めはどんどん水溶液に吸収されていきますが、だんだん粒が残るようになり、 直ぐには湿らない程度でやめるのがコツのようです。また、場所により多い、 少ないという変化を付けるのも必要です。 このプラスター撒きは線路部分および舗装道路を除くすべての地表に行いました。 なお築堤等斜めになる部分はボードごと傾け、 プラスターが固着するまで水溶液が流れ出さないようにしました。 プラスターが乾きましたら、刷毛で擦って余分なプラスターを落とし、 タミヤの水性アクリル塗料で刷毛塗りします。草地になる地表の色は、 フラットブラウンとフラットアースを混ぜたものを使用しましたが、 完全には混ぜずに着色したほうが却って適当なムラが出て良かったようです。

3.車道の製作



 昭和30年代の道の多くは未舗装で、ようやく国道が舗装された程度でした。 このレイアウトでは中軽井沢方面に軽井沢駅を出て直ぐに渡る二十間道路と、 更にその先の曲線部分に線路と平行する国道(18号線)をイメージした道路を舗装路とし、 それ以外の道は幅の狭い未舗装路としました。
 国道は路盤からしっかりと造るせいか、通常は地面から多少高くなっていますので、 ここでは4mm厚のベニヤ板を土台とし、 その上に幅100mmに切出した4mm厚のシナベニヤを貼って表現しました。 道路の両サイドは紙粘土で斜面にします。最近は殆どの舗装道路はアスファルト舗装ですが、 当時はかなりコンクリート舗装が多かったように思います。実物は道路上に木枠を作り、 コンクリートを流し込んだ後、木枠の部分はアスファルトで防水加工してあるようです。 国道はこのコンクリート舗装の特徴を表現するため、 道路の形に合わせて車体工作用の方眼紙を一車線分幅40mm長さ80mm程度に切り、 それぞれ間隔を0.5mm程度空けてベニヤ上に貼り付けます。 更に路肩部分も幅5mm長さ80mm程度の大きさで同様に作り、貼り付けました。 コンクリートの舗装はアスファルト舗装に比べて白っぽく見えますので、 この道路には白のサフェーサーを吹きつけ、アスファルトで埋めた木枠部分(継ぎ目部分)は 黒のアクリル塗料を面相筆で書き込みました。残念ながらこのコンクリ−ト道路は白くなりすぎ、 会の仲間からも実感的でないと非難を浴びて(?)おりますので、 再度アサヒペンのストーン調塗料で塗装するつもりです。 このスプレーは微粒子を含有しており、乾燥後はコンクリートの表面のような仕上がりになります。 なおこの時代は、国道でも路肩を表示する線は無く、 センターラインも消えかかっていたのかはっきりしていません。 なお写真にある舗装道路は上記のコンクリート舗装を表現する前の、 ベニヤ上にストーン調塗料を吹き付けた当時のものです。
 一般の未舗装道路は、主に幅30mmから40mm程度に切断した4mm厚のコルク板を貼り、 踏み切りに繋がる坂道等はバルサ材から切り出し起伏を付けました。 道と土手や畑など他の地形との接触部分は、やはり紙粘土で不自然にならないように繋いでいきます。 この後、前述のように道路上にボンドの水溶液を刷毛で塗り、 その上からプラスターを茶漉しで撒き乾燥させます。乾燥後、余分なプラスターを刷毛で落とし、 車両のタイヤの通る部分を紙やすりで少し平らにした後、 バフとフラットアースを混ぜたアクリル塗料で着色しました。 更に以前アメリカに行ったときに貰ったセントへレンズ山噴火の際の火山灰を道路上に撒いたところ、 塗料臭が消えそれらしい雰囲気になりました。 (本当は浅間山の噴火の灰を撒いた方が正しいのですが..) (2005年3月 M.F)