(12)車輌および運転などについて

 1年間続いたこの連載も最終回になりましたが、 今回はこのレイアウトを走る車輌や運転などについて書きたいと思います。

A. 車輌


 昭和34年(1959年)、5歳の時に大井町の阪急百貨店の模型売り場で2時間以上粘った末に 初めてツボミの80系電車(モハが1,800円でした)を祖母に買ってもらって以来、 鉄道模型を始めて既に45年以上経過しましたが、この間、 予算枠が兄と私の2人分というやや恵まれた状況もあり、 当鉄道に配置された車輌は所謂HOサイズのみで380輌余りになりました。 当初から国鉄の車輌ばかり、とくに信越線の車輌を中心に収集していましたが、 信越線に関係ない車輌であっても実際に乗車した思い出がある車輌や 魅力のある車輌は購入していました。その頃は発売される車種も少なく、 あまり問題はなかったのですが、1980年代に入ると模型化される形式も増え、 かなり選択を絞り込んでいかないとすぐに予算オーバーとなる状況になってきましたので、 初心に帰り近年は信越線関連の車輌のみ収集しています。 レイアウトの時代設定は昭和30年代後半のアブトの廃止・信越線電化の頃ですが、 車輌は昭和30年代の未電化・アプト式時代から1997年の碓氷線の廃止までの期間に 働いていた車輌たちです。
 その殆どは組立キットや完成品を購入したもので、 工作の大半は13mmに改軌することに集中しました。 高校時代にノーブルジョーカーのメンバーに13mmをやろうとそそのかされて以来、 これまでに上記のうち270輌余りを13mmに改軌しました。 当初、線路は木製道床付き線路をスパイクし直してレール幅を狭くし、 車輌の方は打ち込み車輪のものは車軸に叩き込み、 ネジ込み車軸などは一旦切断後パイプでつなぎ、 また動力車はインサイドギアやダイカスト製のギアーボックスの幅を詰めたりと、 かなり手間が掛かると同時に精度はもう一つでした。 しかしシノハラから13mmフレキシブルレールやポイントが発売され、 さらにスパイクモデルから各種車輪やセンターベアラー等が、 さらにエンドウからも13mmの電車用や機関車用のMPギアーが発売されるようになり、 改軌は一部の車種を除きかなり容易にできるようになりました。 今後とも13mm関連のパーツが安定的に供給されることを メーカーの皆様に切にお願いしたいところです。
 現在は信越線で活躍した約150輌の車輌がこのレイアウト上を交代で快走しています。 主な車輌は以下の通りですが、改軌に際しては箱物の動力車はMPギアー、 車輪はスパイクモデル製と一部ニワモデル製を使用、また多くの台車は日光モデルの製品に交換し、 購入時に軸受メタルが付いていなかったものはこれを埋め込み、 軸受には長期間補油する必要がないようグリースを使用しています。 編成ものの動力車の割合はMPの場合、レイアウトのカーブ・勾配区間、消費電流等を考慮し、 概ね1M3T〜4T程度を目処としています。信越線を走る車輌は碓氷峠の関係で特殊なものも多く、 ぴったりの形式の製品が発売されていない場合は極力形態の似ている形式を 一部改造するなどして配属しました。一部の車輌は室内設備がなかったり、 レタリングが未済であったり、ウェザリングが施してなかったりで、 まだまだやることが残っています。

1.未電化・アブトの時代


 この時代に信越線を走っていた車輌は、 蒸気機関車はD50とD51および軽井沢駅構内の入換用にC12、電気機関車はアブト用のED42、 客車は碓氷峠の牽引定数の関係上、 急行「白山」や準急などの優等列車の2等車は軽量のナハ10系を主体とし、 各駅停車は他の線区と同じように32系、35系、43系、61系などが使用されていました。 気動車は特急「白鳥」用の82系、 急行用にアブト区間を通過するために開発された57系が使用され、 各駅停車はすべて客車による運用でした。
[蒸気機関車]
D50 30年ほど前の宮沢の組立キットを解体して組直した物。テンダーは珊瑚のエッチング板
D51 初期のシュパーブラインの組立キットを改軌。動輪は珊瑚の動軸にはめ換え
[客車]
10系 天賞堂の1960年代に発売の初期製品および1970年代発売の中期製品
その他 32系は天賞堂、35系・43系は天賞堂とカトー、61系はエンドウ、その他フジモデル等。
[気動車]
82系 「白鳥」用。カツミの1990年代の製品で7連。床下器具はエンドウ製58系用に交換。2M5T
57系 「志賀」「妙高」等用。エンドウのキハ58系7連。台車をTR59に交換。 気動車用の片軸モーターは非力なため1輌を除き撤去、キロにEN22モーターとMP装着。1.5M5.5T
[貨車]
天賞堂製、カツミ製、エンドウ製、カトー製の混用
[電気機関車]
ED42 ピノチオ製。残念ながらこのレイアウトに一番重要なこの機関車が未だに改軌されていません。
ED40 珊瑚製。もちろん(?)未改軌です。

2.碓氷新線・電化以降



 1963年の電化初期は、昼行急行は客車の「白山」、気動車の[妙高]を除き165系、 準急は80系電車、各駅停車は客車で運用されていましたが、 やはり碓氷峠の関係で電車は全て8連以下に抑えられていました。 特急は当初は引続き気動車でしたが、1966年に碓氷線の複線化が完成した段階で181系電車が入線し、 さらに1968年には季節特急「そよかぜ」用に157系が入線するなど車種はバラエティーに富んだものでした。 同年にEF63と協調運転のできる急行用の169系が導入されて以降、 1972年に交直両用・特急用の489系、1975年に直流用の189系が運用につき、 全て12連の編成が組めるようになったため輸送力は大幅に増強されましたが、 次第に特急のみの世界となり貨物列車も廃止、 また各駅停車も115系(一部185系)となったため車輌のバラエティーという観点からは やや面白みの少ないものとなりました。
[電気機関車]
EF62 エンドウ製品のギアーボックスを切削加工。動輪はスパイクに交換。
EF63 天賞堂の1号機、1次型・2次型を改軌。2次型はギアーボックスを切削加工。
[電車]
80系 「軽井沢」用。天賞堂製の7連。 製品の動力装置は16.5mmパワートラック付きだったので動力なしモハ2輌にMPを装着。2M5T
157系 「そよかぜ」用。エンドウ製7連。2M5T
169系 「信州」「妙高」用。ハはカツミ製165系、ロとハシはエンドウ製153系で9連。 カツミの床下器具をエンドウ製に交換。2M7T
181系 「あさま」用。カツミ製8連、腰高を修正するためボルスターを薄いものに交換。2M6T
185系 快速用。エンドウ製7連。2M5T
189系 「あさま」用。エンドウ製旧特急色の10連。2M8T。同グレードアップ車の11連。3M8T。 この編成のM車3輌は大窓車に偏り3輌推進運転となるため、M車1輌の動力装置を他のモハに移設。


B.運転



 自宅にはこのレイアウトを組立てるスペースは当然ありませんので、 年2回のノーブルジョーカーの運転会がこれらの車輌が活躍するほとんど唯一のチャンスです。 年2回の運転のみのためレール表面の状態を良好に保つことが難しく、 また走行すると電蝕等による汚れが付きますので運転開始時には整備が必要です。 しかし細い70番レールを採用しているのでレール表面をサンドペーパーなどで磨くのは避けたく、 試しにレール表面にCRCを数滴垂らし、 車輌を何度か走らせてみると好調な運転ができることがわかりました。 付けすぎるとスリップの原因となりますが、1日2回ほどの塗布で1日中快調に走ります。
 現在はダイヤによる運転にまでは至っていません。以前にも書きましたように、 現時点では駅構内の転車台などがないこととED42が未改軌で入線できないため運転が やや単調になりがちですが、EF63の連結・解放などで少しでも変化を付けています。 また本線上を走らせる際にはスケールスピードでの運転を心がけています。 ていねいに線路の敷設を行った甲斐があり、車輌の整備をきちんと行っておきさえすれば、 テスト運転でフランジの低いスパイク製の車輪の車輌をかなりのスピードで走らせても 脱線することはまずありませんが、やはり景色の中をゆったり走らせるのが正解のようです。

C.最後に

 このレイアウト製作に取り掛かってから既に17年も経ってしまいました。 この間、気が向くと造り、興味が離れると何年間も運転だけを楽しんでいました。 とくに駅部分がほぼ完成した後、 2001年始めにJAMに出展することが決まるまでの10年間ほどは製作が中断していました。 やはり身内だけでなく、第三者にご覧いただくということはやる気に大いに影響を与えるようで、 それからの2年半は大きく進み、 ほぼ現在の形になりました。やはり何かきっかけがないと普通の人間には集中力を保ち続けるのは難しく、 またその気になれば自分で思っている以上に頑張ることができるものだと改めて感じた次第です。
 このレイアウトの製作を始めるまでは、 高校の文化祭で初めて固定レイアウトの製作に関わった以外はご他聞にもれず車輌一筋でした。 その間TMS等ですばらしい固定式レイアウトを見ていつかは自分の手でと思ってはみたものの、 やはり設置場所等の問題は解決できず、 意を決してシーナリー付の組立式レイアウトに挑戦することになったのは連載第1回で述べた通りです。 実際始めてみると分からないことの連続でしたが、諸先輩の製作記事や実物の資料をできるだけ多く集め、 試行錯誤を繰り返しながら何とか完成に近づくことができました。
 レイアウトの製作は車輌と違い、走行関係の部分を除いてある程度大雑把で良く、 年齢を重ねるに従い衰える目や手先の動きを考えても、こちらの世界へ入って正解だったと思います。 もちろん車輌自体の魅力は変わりませんが、 懐かしい車輌が思い出深いシーナリーの中を走る姿を見ることが私にとっての 鉄道模型の究極の姿のような気がします。いずれにしても鉄道模型は奥が深く、 これを趣味に持ったことは大げさに言えば人生を豊かにしてくれたものと感謝しています。 またこの趣味を持ったおかげで多くの友人に恵まれたことも大きな収穫でした。
 既に述べた通り、このレイアウトの製作を開始してから長期間経っているにもかかわらず 未だ完成に至っておらず、また技法的にもとくに独自のものもなく、 殆どはかつてTMS誌上等に発表されていたものでありお恥ずかしい限りです。 唯一多少目新しいものとしては「組立て式シーナリー付きレイアウト」と言うことでしょうか。 組立て式ということで制約は色々ありましたが、 一応組立て式であってもある程度のシーナリーやストラクチャーの設置は可能であることが分かりました。 今後も少しずつ完成に近づけて行きたいと思います。この連載を読まれて、 1つでも多くのレイアウトが生まれるきっかけとなれはこの上ない喜びです。

 1年間の長期に亘りお付き合いいただき、ありがとうございました。(2005年8月 M.F)