(2) 全体計画



 鉄道模型を楽しむ方は漠然とでも、将来固定レイアウトを持てるようになった時は このような風景を作りたい、そこにはこのような列車を走らせたい、という様な願望 をお持ちのことと思います。それは子供の頃に体験したものであったり、また青年時 代に特に印象に残った情景であったりするでしょう。しかしシーナリーつきのレイア ウトを製作するとなると、この漠然とした願望をより現実的に、何線のどのような景 色を、どのような季節で、いつの年代で再現したいのかを明確にする必要があります。 また組立て式レイアウトといっても、運搬や保管のことを考えるといくら大きくても かまわない、ということはありません。今回の計画では、組み立て式レイアウトとし ても大型の部類に属する、NJの組立て式レイアウトの内側に収まるスペースを限度と して考えることにしました。ただ曲線部の最小半径を1200rとしたかったので、結局NJ のレイアウトを横方向に500mmずつ延長してもらい、その結果最大寸法11610mm×2820mmを 確保することができました。このスペースは直線部分で旧国鉄の幹線にある中規模の駅を、 ほぼスケールで再現することが可能であり、駅ホームは20m級の車輌を10輌収めることができます。
 さて次に、最初に言いましたどのような情景を再現するかについては、私の場合は さして苦労はしませんでした。祖父母の代より信越線の軽井沢に山小屋があった関係 で、私も小さい時から毎夏当地へ行っておりました。その頃の情景、即ち昭和30年代 の半ば、上野を出た準急客車列車は高崎を過ぎると未電化の信越線に入り、D50かD51が 牽引して喘ぎながら25パーミルの勾配を上り詰めると横川に到着します。そこからいよ いよ4輌のアブト式ED42が四声の汽笛を響かせながら、碓氷峠の急勾配に挑みます。 ゆっくり過ぎ行く車窓にはレンガ造りの変電所や橋梁、隧道が点在し、子供ながらに その魅力あふれる情景は私の原風景となりました。横川ではまだかなり熱気がありますが、 熊ノ平を過ぎると徐々に涼しくなり、最後の26号トンネルを抜けると一気に涼風が車内に 吹き込んできます。軽井沢でメインロッドに空色を入れたD50かD51に代わった列車は、 降車駅である中軽井沢まで高原の涼風を浴びながら一気に走ります。電化前の信越線を 走る列車は、特急は82系「白鳥」、急行は客車の昼行「白山」と夜行の「黒部」、 順次客車準急を格上げした57系気動車の「とがくし」「丸池」「志賀」等でした。 そして夏季には臨時の準急「高原」も運転されておりました。編成は碓氷峠の牽引定数の 関係で、一番長い客車急行「白山」でも10輌、気動車は全て7輌と幹線としては物足りな いものでしたが、模型化する場合は、大変助かります。この輌数は碓氷新線開通、信越線 の長野電化が完成した昭和38年以降も、電車の碓氷峠での協調運転が始まる昭和43年まで はやはり客車10輌(急行白山のみ11輌)迄、電車は8輌か7輌、気動車も7輌編成でした。
 というわけで、イメージとしては横川から碓氷峠を挟んで中軽井沢間でしたが、組立て 式レイアウトではさすがに碓氷峠の勾配を表現することができませんので、矢ケ崎信号所 から軽井沢駅を中心に、中軽井沢あたりまでを再現することとしました。季節は盛夏、 時代は少し幅を取って昭和30年代半ばから碓氷新線開通、信越線電化前後としました。
 さてイメージが固まりましたら実際の線路配置を考えます。中心は軽井沢駅となりま すので、まず碓氷新線開通前の同駅の構内配線図をもとに、いくつかの側線をカットし、 全体の寸法を多少圧縮しました。後述しますように、運転会時の運搬を考え、駅構内部分 については台枠寸法を900mm×450mmとしましたので、これを基にとりあえず駅構内はホーム を中心とする主要部分に限定し、機関庫や給水塔、ターンテーブルのある部分については、 用地買収の問題が解決してからの次期工事としました。駅構内以外の部分は、できるだけ 従来の組立て式レイアウト(平坦で曲線と直線の組合わせ)からの脱却を図り変化をつけ るため、なるべく直線部分を減らし、10パーミル程の勾配を取込むようにしました。また 通常の組立て式レイアウトは複線以上で計画されることが多いようですが、今回は当時の 雰囲気を再現するため単線としました。すれ違いが無い等、運転の面白さは減りますが、 昭和30年代は幹線でも単線区間が多く、やはり地方線での蒸機は単線が似合います。 全体の構成を考える時点で、新幹線工事が始まる前の軽井沢駅や、周辺の取材を数回にわ たり行い多数の写真に残すことにより、製作する場合の参考としました。
(2004年10月 M.F)