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1.宮沢模型
1965年(昭和40年)には入門者向けとしては渋い古典機2900型(塗装済キット:¥2,900・完成品:¥2,990)を製品化、エッチングによるリベットや窓枠の表現など模型としての進歩が見られました。 1968年(昭和43年)に販売を開始したD50(塗装済キット:¥8,300・完成品:¥8,500)は、16番模型の大きな進歩を遂げていた時代を反映して、さらに内容の向上が見られました。上廻りはきれいなエッチングによりリベットや窓枠・ボイラーバンドを表現した真鍮板のプレス加工で、スケールも比較的正確で、ボイラーやキャブなどディテールはあっさりしていますが普及製品としては良くできています。煙室前面部はドロップ製、ランボードは丁寧に2枚重ねになっています。主台枠は当時としては珍しくダイキャスト一体成型で、製造工程を簡略化すると同時に正確さをもとめています。動輪の輪心はD50用をダイキャストで新製、軸バネを入れて軸箱可動とし、モーションプレートやロッド類もドロップ製できれいに打ち出されていました。シリンダーカバーはエッチングのみの表現のためやや立体感に欠けています。テンダーもエッチングでリベットや縁取りを表現した真鍮板製ですが、リベットはいささか大きすぎました。主台枠後部と一体のドロップ製の従台車や、ダイキャスト製のテンダー台車の形態はいまひとつです。全体としてこの製品は比較的設計は良かったのですが、アンチ製のちゃちな部品を使用したり、組立が雑で損をしていた機関車でした。しかし発売当時D50の量産モデルは無く、その型式ゆえ購入された方も多かったのではないでしょうか。筆者もD50が欲しく購入しましたが、そのままでは満足できずキャブとボイラーを残し自作してしまいました。テンダーは珊瑚模型店のエッチング板を使用しました。結果としてあまり製品の原形は残していませんが、ご参考までに写真を掲載します。1969年(昭和44年)には姉妹製品として集煙装置付のD60が発売されました。 宮沢は1960年代から旧型客車の完成品も販売していました。スイテ49・スロ60・スロ53・オロ42・マシ35・スハ43・スハフ42・スハ44・スハフ43・スハニ35などがラインナップされています。車体は真鍮板プレスで、シル・ヘッダーや雨樋は真鍮帯板の半田付け、ディテールは殆んど無くさっぱりしたもので、台車はドロップ製です。当時カワイ・つぼみ・宮沢が旧型客車を発売していましたが、スケールの良い良質な旧型客車の発売を待っていたファンにとってはどれも決定版にはならなかったようです。 2.珊瑚模型店
ヌ100(キット:\830・塗装済完成品:\980)は主に蒸機牽引の混合列車用に開発された2軸の暖房車で万人向けの車輌ではありませんでしたが、筆者は横軽用のヌ200が同車の改造形式でもあることから購入していました。製品はエッチングで窓枠等を表現した真鍮版のプレス加工、半田組立ですが、手すり類や挽物の煙突等もつき一通りのディテールを備えていました。台車の軸箱廻りなどはシノハラ模型のプラスティック製でブレーキシューまで付き、軸箱が可動する構造にはなっていましたが実際にはうまく作動せず、固定してしまったほうが良かったようです。 2120型(キット:\5,500)は、明治期の空制化以前のバッファー付の状態を表現し、現在のようなバラキットではなく組立済キットとして発売されました。上廻りはエッチングによりリベットや窓枠、ボイラー帯等を美しく表現した真鍮板の半田組立で、煙突や安全弁等は挽物、ドームはプレス製で、ヘッドライトやジャッキと煙室扉にロストワックスを使っています。その後空制化のためのパーツが発売されました。主台枠は真鍮厚板を使用し、実物に忠実な古典期独特の扇形バランスウェイトをダイキャストで表現した良質な輪心を持つ動輪を履いていました。溝なしタイプを表現したロッド類はドロップ製で、プラスティック製のブレーキシューを備えていました。動力はキャブ内に装備した縦型モーターからウォームギアを介して第3動輪に伝動していました。この製品は、設計や模型としてのセンスの良さが光り、その後の同社の蒸機製品の基礎を作ったモデルとなりました。 3.水野製作所
上廻りはエッチングによりリベットや窓枠、ボイラーバンドを表現した真鍮板の半田組立ですが、この製品の第一の特徴は同社らしく数多くのロストワックス部品を使っていたことでした。発売当時他社の量産製品では高級製品でも高価なロストワックス部品はエアコンプレッサーや給水ポンプ等の一部の部品に使われていたに過ぎませんでしたが、この製品では通常プレスや挽物・ドロップで表現していた煙突や砂箱、キャブ天窓・発電機・汽笛・煙室扉・クロスヘッド・モーションプレート・エンドビームからブレーキシュー等までロストワックスで表現しています。残念ながらロストワックス部品の表面に多少ざらつきがあったのは残念でしたが、ディテール豊かで4110型の、部品が多くパイピングの錯綜した感じをうまく表現していました。下廻りは厚手の真鍮板を使用した主台枠にダイキャスト輪心を持つ動輪が装着され、第3動輪は曲線通過を考慮してフランジレスとしてあります。軸箱にはリン青銅線が第1・第2と第4・第5動輪間にイコライザー機能を兼ねて掛けてあり、第3動輪はバネのみとして軸箱可動となっています。動力は棒型モーターから真鍮板組立のギアボックス内のウォームギアを介して第3動輪に伝動しています。 このモデルは発売当時の高級製品の中でもロストワックスを多用したやや特殊な製品でしたが、いずれにしてもその後のハイディテール化のさきがけとして市場に一石を投じたモデルでした。 4.ひかり模型
この特製品はEF63の特徴である側面の大型ベンチレーターなどをエッチングで表現した真鍮板をベースに、ロストワックスの「おでこ」を付け半田で組み立てた製品で屋根上のモニターも真鍮板で組み立てられています。特に精密な製品ではありませんが、独特のジャンパー栓も含め一通りのディテールを備えていました。台車はカツミのEF70用の流用のようで、EF63用の独特な台車は全く表現されていません。(後年、EF63用のドロップ製の台車を分売しました。)動力は当時の定石であった2個の縦型モーターからそれぞれの台車にウォーム・インサイドギアで伝動していました。信越線の車輌を集めていた当鉄道では、当時唯一のEF63の完成品を兄が市川にあったひかり模型まで購入に行きました。2台入手しましたが1台は茶色、もう1台は青色塗装で当時の実物も両方の塗色が混在していた時期でした。 5.小高模型
6.マツモト模型
7.ピノチオ模型 ピノチオは1965年(昭和40年)、初の自社製キットとして当時東横線の主力として大活躍していた通称青ガエル5000系を発売しました。車体は真鍮プレス半田組立ですが前面の窓が少し“たれ目”で、多少腰高になっていた他はスケール感も良く、独特の台車もドロップ製でよく表現しており、当時としては私鉄電車の製品化は珍しく東京の私鉄ファンに好評を持って迎えられました。 その後同社は1968年(昭和43年)から旧型客車の真鍮製車体バラキットの販売を開始しました。発売開始当時10系以前の旧型客車はカワイやつぼみ・宮沢等の普及製品しか市場になく高級ファンには物足りない状況でしたが、ピノチオの製品はスケール感も良く、ある程度の金属工作技術を持ったファンには大変喜ばれました。車体は窓枠をきれいにプレスして表現した真鍮板で、シル・ヘッダーや雨樋は真鍮の帯材を半田付けして組立てます。サボ受けも半田付けしますが、発売当時高級製品でもサボ受けまで表現した製品はなかったように思います。発売当時はファンにとって所謂バラキットは目新しく、この製品群によって半田工作に踏み出された方も多いのではないでしょうか。1960年代末に発売されていた形式はスロネ30・マシ35・スハ43・スハ44・スハフ42・スハフ43・スハニ35・スユニ60・スロ60・スロ53・オロ61・オハ61・オハフ61・オハユ61・オハユニ61・オハユ61・スイテ49・マロネロ38・オハ35・オハフ33・スロハ32・スハネ30と丸屋根の多くの型式が発売されました。 8.遠藤商店 今でこそ機関車や窓物車輌の有力メーカーとして鉄道模型界で確固たる地位を築いているエンドウは、1960年代は遠藤商店と称し、簡易なホーム・跨線橋などのストラクチャーや普及品の貨車を販売していました。その他の車輌模型としては1966年(昭和41年)に発売した2軸の簡易気動車キハ02が最初です。この製品はプレス加工の半田組立で、当時流行していたレーシングカー用のマブチ製モーターを使用し、ウォームギアで1軸に伝動しています。台車は真鍮プレス製の貨車用の流用で極めてさっぱりした製品でした。翌1967年(昭和42年)にはDD13を製品化しました。この製品は機関室の点検扉等も全てエッチングで表現した真鍮板のプレス加工でのっぺりした印象でした。動力装置は定石的方法は取らず、キハ02と同様レーシングカー用のモーターを2個使用し、スプリングベルトで下に下ろしウォームギアで全軸に伝動していました。 (2008年6月 M.F) |
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