1-1 1960年代の鉄道模型の状況 (前編)

一ファンの見た当時の市販日本型HO鉄道模型車輌
1960年代のTMS
 1960年代以前の日本型HO鉄道模型の市販車輌製品の主役は鉄道模型社のC62やEF58、 カワイやつぼみの80系電車等であり、その後主役となるカツミや天賞堂は殆どOゲージ製品や 輸出用の模型を製作していた時代でした。 輸出先の米国ではその質の良さから好評を博していたようですが、 ファンが本当に満足の出来る日本型の市販品は未だ殆どありませんでした。 その為モデラーは欲しい車輌は自作をしたり、市販品を改造したりしなければならず、 TMS誌上で山崎主筆はメーカーに輸出品レベルの品質の良い日本型の車輌の発売を促しておられます。 その後国民所得の向上により生活に多少余裕が出てきたことも背景にあったと思いますが、 1960年代を通じて順次各メーカーが日本型のHO車輌の販売に積極的に取り組み始め、 市販の日本型鉄道模型車輌は大きな進歩を遂げました。 そこでこの変革の激しい1960年代の日本型HOの市販品にスポットを当て、 当時の状況を回顧してみたいと思います。

鉄道模型との出会い
 私の3-4歳当時(1957-1958年、昭和32−33年)の写真を見ると、 自宅で三線式のOゲージのアメリカ型の蒸機やEF15タイプの電関と何両かの貨車が写っており、 これが私の鉄道模型との出会いであったようです。 記憶には殆ど有りませんが、多分父が5歳年上の兄のために買ってきたのではないかと思います。 この頃は父の仕事の関係で兵庫県の西宮に住んでいましたが、 転勤により1959年(昭和34年)グリーン塗装の特急「はと」のナロ10に乗って東京に帰ってきました。 同年大井町にあった阪急百貨店の模型売り場で、つぼみ堂のクハ86とモハ80を二時間以上粘って 祖母に買ってもらったのが所謂HOとの付き合いの始まりでした。 このときはまだ幼稚園児でしたが、一目見て余程心を打つものがあったのでしょう。 その時にサカイの線路とパワーパックも購入していますが、 サカイの線路はプラスティックの枕木に線路を付けただけのもので、 お座敷運転では脱線が多く暫く使った後カワイの木製道床付き線路に代わりました。 小学二年生で内容が理解できていたとは思えませんがTMSは155号(1961年5月号)から買い始めています。 その後兄と全ての小遣いをつぎ込んで少しずつ車輌を買い集め、 9mmゲージに転向することもなく結局一生ものの趣味として現在まで続いています。 1960年代は私の小学校入学から高校入学までの時期にあたり、 私にとっても大変印象に残っている時代です。

メーカー別の発売状況
 1960年代の主なメーカー別の動きを見てみますと次のとおりです。


(a)カツミのカタログ
(b)カワイのカタログ
(c)カツミがシュパーブのD51を最初に発売したときのキットについていた説明書
(d)TMSが主催で、天賞堂で開催された(TMSに発表された主に車輌模型を展示した) ギャラリーのパンフレット

カツミ模型店
カツミ模型店 シュパーブ D51

 上記のような背景の中で1961年(昭和36年)安達製作所が製作しカツミが発売した シュパーブラインのD51はそれまでの常識を覆す画期的なスケール感・精密さと構成で、 一気に日本型蒸機模型のレベルを引き上げたのでした。 私たちも当時の価格としては破格の\7,150(未塗装組立キット)をはたいて購入、 その出来のよさは大げさに言えば当家の宝となるに十分でした。 その後シュパーブラインは1960年代を通じてC62・C53・C57・C55・D52等を発売し、 日本型の高級蒸機の代表製品となって行きました。 1966年(昭和41年)にはシュパーブ初のバラキットとしてC12が発売され、 カツミ主催の組立てコンテストが開かれたことをご記憶の方もおられると思います。 カツミは1963年(昭和38年)には初めての箱物としてキハ82系の発売を開始、 その出来は従来の他社製品より風格があり、美しい塗装もあってファンに好評を持って迎えられました。 同社は1960年(昭和35年)からこれも安達製作所製作による良質のED70を販売していましたが、 1964年(昭和39年)にはEF70やEF60の発売を開始、電機でも市場で存在感を持ち始めました。 1960年代も半ばになると編成物が多く発売され、 20系客車や103系・111系・165系・581系などはモハを二個モーター化するなど確かな走行性能もあり、 運転会の花形として好評を博しました。 シュパーブ製品は形式により1960年代終盤には入手が難しくなりましたが、 1967年(昭和42年)には普及品としてダイヤモンドシリーズのC62とC59が発売されました。 高級仕様の蒸機に慣れてしまった目には物足りなさを感じましたが、 廉価であり多くのファンに喜ばれました。天賞堂が完成品のみという路線を取ったのに対し, カツミは機関車や82系などの製品においてキットを販売していたのは価格面でもありがたく、 また入門者には模型の構造を知るうえで役立ちました。

天賞堂
天賞堂 DF50

 1962年(昭和37年)頃になると天賞堂も日本型に本腰を入れ始め、 それまで細々と販売していたエボナイト製の貨車や自由形Cタンク蒸機、EB10型電機に加え、 機関車ではDF50・EF30・EF62・ED42・9600を順次発売しました。 形式の選択はかなり偏っているように感じましたが信越線ファンとしては有難く、 その出来は精密感あふれる素晴らしいものであり、 蒸機のみならず電機の品質の水準を引き上げるのに十分でした。 1963年(昭和38年)には初めての箱物として当時まだ東海道線で活躍をしていた 151系のほぼ全ての形式の販売を開始しました。 151系も美しい塗装や別貼りにした客室扉など高級感があり、 モデラーは皆「こだま」のフル編成にあこがれたと思います。 1964年(昭和39年)になると天賞堂は軽量客車シリーズの販売を開始、 最終的には12形式も発売されました。これらの客車もスケールやディテール、 仕上げの良さで従来の他社の製品とは一線を画すものであり、 天賞堂の二階建ての旧本店で購入したときの嬉しさは忘れられません。 1960年代も終盤になると旧型電機シリーズの販売が始まり、1969年(昭和44年)に発売されたEF58は、 それまで見慣れていた鉄道模型社の同機とは明らかに違う高級感・重量感があり、 また新型のダイキャスト製ギヤーボックスを使ったスローの効く走行性能も魅力でした。 1960年代は、蒸機は結局9600だけで、 その後の同社の蒸機シリーズの隆盛振りを見るとやや意外な感じがします。 現在の天賞堂の高級なイメージは、既にこの時代に確立したようでした。

カワイモデル
カワイモデル 151系(クロ151)

 戦前からの老舗メーカーであるカワイモデルは 1950年代からED14や72系・70系・80系電車・43系客車等を活発に販売していましたが、 1962年(昭和37年)には初の制式大型蒸機C59を発売しました。 しかしながら既にシュパーブのD51のすっきりした仕上げを見ていたためか、 ディテールは多かったもののもう一つの感じが否めませんでした。 1964年(昭和39年)には151系を発売、こちらも前年に発売された天賞堂の製品と比較され、 やや損をした感があります。その後101系・103系電車やキハ30系を発売、 木製の床板を使用する(メリットもあるとは思いますが)など、 残念ながら品質としては大きな進歩は見られませんでしたが、 従来から販売されていた80系電車や43系客車等に比べてスケール感は改善されました。 153系や157系も発売されていましたが、 先頭部がソフトメタルの鋳造であったためぼってりとした感じが拭えず、 進歩しつつある他社製品にやや水を明けられたようでした。 ただ客室ドアーを別貼りとするなどの丁寧な工作・組立や、 多くの製品で未塗装キット、塗装済キット、 完成品をそれぞれ販売するなどファンを大事にする姿勢を感じさせるものでした。 神田須田町の本店には各種部品が良く揃っており、ファンの強い見方でした。 現に、我が家の木製道床付き線路、ポイントマシン、レオスタット、セレン整流器、 スイッチ類などは全てここで購入したような気がします。 カワイは良く言えば伝統を重んじる反面、時代の趨勢にはあまり頓着がないようで、 21世紀の現在においても1960年代の模型の香りを残す製品を作り続けているのは 皆さんご存知のとおりです。

鉄道模型社
鉄道模型社 EF15

 日本で最初に16番ゲージ(1/80で16.5mmゲージ)を発売した鉄道模型社は、 1950年代からC62やEF58をはじめ151系(正確には20系)など日本型の製品を供給する 数少ないメーカーの一つでしたが、1960年代も引き続き活発に新製品を発表していました。 機関車はED46・ED61・ED71・EF80・EF61・C56・ED17・EF18・E10・EC40・DD51等を 順次発売し気を吐いていました。箱物も153系・451系・キハ20系やキハ58系の販売を開始、 手頃な価格の普及製品を市場に提供し続けていました。 あまり印象に残る製品はなかったように思いますが、 この新製品群の中で1963年(昭和38年)に発売されたEF61は他の製品群とは異なり、 台車枠は当時の標準であるドロップ製ながら枕バネ付近をロストワックスとし立体感を持たせるなど、 従来の同社製品のイメージを向上させる意欲作でした。 また同年、高級特製品的に発売されたC53はロストワックスを多用し、 同社もやれば出来ることをファンに知らしめました。 1960年代も終盤になると次第に新製品が少なくなり、 その後エッチング版を主体としたばらばらキットを発売するなど、 他のメーカーとは一線を画したマニアックな企画で、 一部ファンに強く支持されたメーカーでした。

その他のメーカーについては次回に続きます。(2007年7月 M.F)


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