(3)畑の製作

 軽井沢周辺は標高1000m程の寒冷地であると共に、浅間山の度重なる噴火による噴出物が堆積し、作物を作るには痩せた土地であるため、江戸時代にはアワやヒエなど雑穀類が主な産物でした。しかしながら明治20年代から宣教師をはじめとする西洋人が避暑地として利用を始めたため、彼らの食生活の需要を満たすべく明治30年代からキャベツやトウモロコシの作付けが始まったようです。戦前、寒冷地のため稲は普通に作付けしたのでは生育が悪かったので生産は限られていましたが、戦中寒冷地向けの新たな苗の生育法が軽井沢出身者によって開発されたため、戦後は稲作も盛んになりました。昭和30年代にはレタスの栽培も始まっています。
 上記のような状況なのでこのレイアウト上ではトウモロコシや高原キャベツを中心に稲なども作付けすることにしましたが、以前の製作記でも書きましたように多くの土地を田畑としたため、必要となる多量の野菜等を製作する方法が見つからず困っていましたところ、2007年頃ドイツのBusch社の様々な種類のプラスティック製野菜キットが輸入・販売されていることを知り、これを利用することとしました。これらのキットは大量に仕入れますと結構コストがかかりますが、見栄えもまあまあで大量に製作する他の方法も思い浮かばず使いました。残念ながら最近余り市場で見かけなくなっているようです。

1.トウモロコシの製作



 同社の製品番号HO1202のトウモロコシ畑のキットを使用しました。このキットは一列に20本並んだトウモロコシが20セット入っており、総数400本で10p四方のトウモロコシ畑が出来ます。茎や葉は薄緑色のプラスティックのままですが、色は艶消しとなっておりなかなか雰囲気が出ているので着色はせず、平らになっている葉は捩じったり曲げたりして立体感をだし、茎の頭部にキット付属のクリーム色の粉をまぶして完成します。茎の途中から生えているトウモロコシ本体は、実物は当然皮に包まれて緑色ですが、色気に乏しいので頭を黄色に塗ってみました。1本1本のトウモロコシの整形には結構手間がかかりますが、完成して畑に並べると結構それらしい雰囲気になりました。トウモロコシの多くは兄が製作したものです。

2.キャベツの製作



 HO1213のキャベツとレタスと言うキットを使いました。このキットにはブロッコリー8個、カリフラワー8個、キャベツ8個、赤キャベツ8個、レタス16個分の部品が単独のレタスを除き玉と葉が別々に入っています。ブロッコリーとカリフラワーは同じ内容で色違い、キャベツと赤キャベツも色違いで、葉は前者が大きく玉は後者が大きくなっています。数を稼ぐため、不要なブロッコリーとカリフラワーは全てキャベツとするべく葉の大きいこれらにはキャベツの玉を、キャベツの葉にはブロッコリーとカリフラワーの玉を組み合わせ、それぞれプラ臭さを消すためアクリル塗料で塗装して、一つの玉に4枚の葉の付いた大小のパーツ2つを組み合わせて組立てました。この方法でキット一箱から大きなキャベツ16個、小さいキャベツ16個、レタスは単独で16個が収穫できました。畑で良く見るキャベツとは葉の格好等多少違和感がありますが、他に多量に効率的に製作する良い方法も思い浮かばず、結局これでかなりの数のキャベツを妻の手も借りながら作りましたが、それでも数多くの畑を埋めるにはかなりの時間が掛かってしまいました。レタスはやはり着色してそのまま畑に並べましたが見栄えはイマイチです。

3.ネギ等の製作



 日本のネギは西洋には同じものは無く当然製品も無いので、HO1216の大麦畑のキットから作りました。このキットには一列54本ほどの大麦が生えており、総数で概ね4000本ほどの大麦が入っていますが、これでもやはり10p四方分です。大麦はネギとして使用するには高さが高いので少し頭をカットし、ネギ色に着色の上大半は畝の中に植え、一部は収穫している途中の状態にするため、下部を白色にして畝の上に倒してみました。


 前述のように戦後は稲作も盛んになったので水田も導入したいのですが、稲もBuschでは発売していないので大麦のキットを使ってみました。ご覧のように出来がもう一つなのでいずれ作り直そうと思っています。


(4)貨物ホームの製作

 軽井沢駅の上り線横川方の北側には、定数等の制限の厳しい碓氷峠を越えるための貨車の入換線と、同駅での物資の積込み・積降ろしのための貨物ホームや貨物上屋が有りました。また、1960年(昭和35年)までは、草津温泉まで55.5qを走っていた軽便鉄道の草軽電鉄によって草津方面から運び出されてきた硫黄等の物資の国鉄線への積替えも貨物ホームの外れで行われていて、ホームが硫黄で真っ黄色になっていました。一方、国鉄で運ばれてきた石炭等の物資もまた草軽で沿線に運ばれていきました。従来このレイアウトでは上り貨物の入換線は有ったものの貨物ホームの土地が無くこの部分は製作していませんでしたが、貨物の積換えのため草軽のナロー線路と国鉄の引込線が段違いで並ぶ部分もあり、レイアウトとしての興味もそそられる部分なのでいずれは製作したいと思っていました。図らずも本年(2020年)3月頃からの新型コロナ騒動に因り自宅に引きこもる時間が更に増えたので、この機会に貨物ホーム等の部分を製作することとしました。基本的には以前製作した部分と同様な造りですので、今回造り方の違う部分などを中心にご説明します。




1.ボードの製作

 ボードは他のボードと同様上面を9o厚のシナベニヤとし、300ox910oの2枚としました。機関区部分のボードと同様、既存の駅のボードと平行に設置するため、ボードの運搬・収納時にボード同士を重ねる構造にすると、以前ご説明しましたようにボードを重ねる部分にシーナリ―が付けられないと言う問題が生じます。この問題を解決するため今回は下図のように旧駅ボード上のボードの側枠が載る部分に取外し可能な貨物ホームを製作設置することにより、貨物ホームボード同士は従来通り重ねられる構造としました。






 貨物ホームの無い部分は既存の駅ボードや貨物ホームボード共、重なる上のボードの側枠の下端を一部必要に応じて切削し、下のボードの表面に最低限のシーナリ―を付け接続線路を敷設しました。
 貨物駅ボードは既存の駅ボードと線路が繋がる部分は1ヵ所のみですが、以前機関区部分のボードを設置した時にそれを載せるテーブル等に凹凸が生ずると駅ボードとの連絡線が上下方向に食い違うケースが出たため、今回は旧駅ボードの連絡線部分下の側枠に、木ネジの付いたダボをねじ込み新設のボード側枠の同位置に穴を開け、嵌め込んだ時点で上下左右の位置決めが出来るようにしてみました。

2.線路の敷設



 今回敷設した線路は、国鉄線側は駅ボード製作時に設けておいたポイントから分岐した線に接続する貨物ホームの裏側に伸びる13oの線路と、草軽電鉄の9oナローの引込線です。両者間の貨物の積換えを容易にするため、草軽線は国鉄線に比べて線路の上面が高くなっていましたので、模型では6oほど高くしてあります。60年も前のことでもあり、また数少ない当時の写真と1980年代末に同所を訪れた時に撮影した写真の整合性が取れない部分もあり、当時の国鉄・草軽双方の線路配置及び周辺の建物等の詳細は不明でしたが、この周辺が写っている数少ない写真を頼りに適当にそれらしく製作しました。国鉄の線路は従来同様枕木を間引いたシノハラのフレキシブルを使用し、終端部はエコーの車止めを付けました。細かいバラストを撒き、木工ボンドの水溶液を使ってボンドバラストで固定しました。


 ナローの線路はこのレイアウト上では初めての敷設で、どのようにしたものか検討しましたが、国鉄のレールのコード70と出来るだけ差をつけてナローの貧弱な線路を表現するため、マイクロエンジニアリング製のコード40の引抜レール使い、枕木は工作を容易にするためクラシックストーリー製の9oナロー用を使用しました。このレールは高さ1o、下部の幅も1oできわめて細く、実感的ではありますがスパイクで固定するのは技術的に難しかったので瞬間接着剤で固定しました。飾りに近い線路で余り強度は必要ないのでバラストをボンドバラストで固定した後は特に問題は無いようです。機廻し線用の2個あるポイントは既製品が無く、やはりコード40のレールで自作しましたが、ポイントの製作は初めてで、またレールが細くて老眼の眼には良く見えないことも有り少々苦労しました。敷設した後でクラシックストーリーからナローのポイント用の枕木も発売されていたことを知りました。線路を敷設後砂のような非常に細かいバラストを撒いてみました。草軽の引込線は、現在ポイントマシンの取付けや配線はしていませんが、一応配線時に必要なギャップは切ってあります。
 草軽線は電化されていましたので本来架線が必要ですが、組立式のレイアウトでコンパクトに収容するため国鉄線同様一切省略してあります。現在残念ながら草軽の車両は殆んど持っておらず、試しに1/87のデキを置いてみましたが実物も小さいためかなり小振りに見えました。 いつか1/80スケール・9oゲージの草軽電鉄の電気機関車(カブトムシ)や貨車、そしてこのナロー線延伸の折には客車や電車が配置できればと思っています。

3.シーナリーの製作



 大まかな地形は軽量化の為バルサ材を使い、従来同様紙粘土で地形の修正を行いました。前述の取り外せる貨物ホームは、14oの角材の端に駅ホーム製作時に余ったレーザーカットしたボール紙のコンクリートブロックを貼りました。ホーム上面は2o厚の航空ベニヤそのままです。擁壁は以前製作した橋梁の橋脚部の石積みと同様の方法、すなわち1o厚位に貼りつけた紙粘土が乾かないうちに表面のざらついた軽石を押し付けて多少凹凸をつけ、乾燥してから0.4o厚の金属板の断面を押し付けて筋目を表現しました。意外と簡単にそれらしくなります。地形の表面は従来同様木工ボンドの水溶液を撒いた上にプラスターの粉を撒く方法で土を表現しました。国鉄線と草軽線の間で硫黄の積換えを行っていた場所はこぼれた硫黄で真っ黄色になっていましたが、ここには30年くらい前に同積換え線跡に残っていた硫黄を粉にして撒いておきました。今でも硫黄の匂いがします!
 貨物ホームは155pほどの長さが有りますので、下記の貨物上屋を設置し、屋外の部分には国鉄で運んできた石炭を草軽に積み替えるとの設定でホーム上に石炭を置き、国鉄への積込のためプールしている原木も表現しました。実物で北側になるボードの端に沿った小川の水は以前と同様簡単に木工ボンドで表現しました。200本を超える古枕木の柵は、妻が米国製の枕木の上部を台形にしてから着色してくれたものを8o間隔で並べました。

4.貨物上屋等の製作








 軽井沢駅の貨物上屋は貨物の取り扱いが廃止となった1982年(昭和57年)まで残存したと思われますが、この上屋は一般的な貨物上屋とは少し形態が異なっており、貨物を濡らさないための貨車側への屋根の張出しも無く、一般の街中の倉庫の片側の壁が無いような形態をしていました。かなり大型で模型の寸法では90ox270oとなっていますが、実物はもう2間分ほど奥行きが大きかったようです。この上屋の写真も少なく、多くの部分は推測で作りました。2間毎の柱は2o角の角材、羽目板はノースイースタン製の羽目板の幅2.4o厚さ0.8oの板を裏表貼り合わせて使いました。裏の半間ごとの柱は1o角、表の羽目板押えは0.5o角の角材を使っています。小屋組は2oの角材を使用しました。羽目板はワイアーブラシで擦って草臥れた感じを出そうと思いましたが、材料が意外としっかりしていて傷がつかず、細めのドライバーで少しずつ削ってひび割れた感じを出していきました。これらの組立は少し薄めた木工ボンドを使いましたが、本来組立前にSTカラーで塗装すべきところ組立後塗装したため、木工ボンドがはみ出た部分に色が載らずムラになってしまったので、全体を古びた木材の感じを出すためアクリル塗料で筆塗りしてしまいました。屋根瓦は、今回は広い面積が必要なのでサカツウ製の物を使用し、スエード調塗料のダークグレーで吹付塗装しました。建物の完成後エコーの雨樋を取り付けました。一番困ったのは貨物上屋内の貨物でした。色々エコーの布袋や米俵等々使いましたが、上屋自体が大きめのことも有り少々貨物を置いてもスカスカなので、なんだか分からない様な物を色々置いてそれらしく誤魔化しました。


 草軽の引込線周辺に建物が有ったかどうか不明ですが、職員の休憩用にエムズコレクションの軽便詰所のキットを使って小さな小屋を建てました。近くに職員が食料用に小さな菜園を造りました。この詰所の横川側の枕木柵の外側の鉄道敷地外に土地を確保してあります。此処には今後民間の建物を建てる予定です。

(2020年11月 M.F)