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「吉岡さんの足跡」にも書いている様に吉岡さんはある時期から模型を徹退し貨車研究家へと邁進されましたが、
それまでに残された車輛を紹介しながら吉岡さんの模型感とひととなりを思い描いて頂ければ幸いです。
◆クラブレイアウトの保管について
NJ発足後から東京の世田谷を拠点に活動しレイアウトの保管をしていましたが2005年から会場の都合で
埼玉のとある場所に会場拠点と資材倉庫を引越しました。
倉庫内はご覧の様にレイアウトボード、配線ケーブル、コントローラー、工具などギユーギユー詰め状態ですが、
その奥に決して触れてはいけないと言われるカバンが二つ存在しました。
●皆が触れたがらないカバン、それがこのカバンです。
表面は白くカビていて、皆は何時しかこのカバンの事を「カマンベール」と呼ぶようになりました。
虫干しと称し開けてみると、中には見覚えのある箱が沢山入っていました。
よく知るメンバーに聞くと吉岡さんが模型活動をしていた頃の車輛たちだそうで、
活動停止とともに自宅に置かずNJ倉庫に眠ることになったとの事。
以前から「カマンベール」は捨てようか?表面をクリアのスプレーでコーティングしょうか?と話題には上りましたが、
今だ結論は出ず持ち越されています。
●45輌のセム
入っていたのはカワイモデルの45個の箱で中はセムの塗装済み完成品です、すべてに軽いウェザリングとレタリング、
Kadee化されており、じっくり見るのは初めてですがサ210やサフ251など目を疑うレタリング??が施されている事に気付きます。
インレタの文字が足りなくて形の近い文字をあてはめたと思われます。
私有貨車研究では個々のディ−ルの違いまで追求されていましたが、
模型では細かいところは見えないと雰囲気を重視したのですね、これも吉岡流と思います。
また車輛や箱の上書きに完成した日にちの記録を残すなど研究家としての模型が感じられます。
「千鳥合成化学専用車」と記載されている車輛が数輌あります、
千鳥とは東急池上線千鳥町駅の近くに住まわれていたことから付けられています。
急逝される直前の例会で吉岡さんが石炭の積み方の話をされていました、
積車の時は山積みで降車時には振動と乾燥で嵩も減るとのこと、考えてもみなかった事ですが確かに頷けます。
タイトルバックにある積み方は筑豊本線を揺られて嵩が減った降車時の状態を模してみました。
「吉岡さんの足跡」にも書いていますがこれらの貨車達はTMS373号(79-5)に掲載されており
ご覧の様に北九州をイメージした編成なので同時期にさんごの9600を3輌準備していたと聞いています。
●なんとこのカバンの中身は1985年に登場した211系電車が8両入っていました、
吉岡さんがなんで?当時を知るHTさんに尋ねるとこれは息子さんの英才教育用との事です、
ご自宅で走らせたのでしょうか。
貨車研究家からは想像のつかないキハ183系、205系なども入っていました。
●そのほかにアダチ製作所のC61、カツミのシュパーブラインのD51が各1輌あります。
C61はやけにバランスが良いと思ったらテンダ―がなんとC60ではないですか?
東北本線の急送品荷物列車でも作りたかったのか?
赤い車輛が7輌出てきました、
その内4輌はアダチ製作所のED71で吉岡さんが就職された「東芝」の銘板が付く物もあります。
なんとなつかしい、つぼみ堂模型店のEF81が3輌も出てきました。
これらが集まるのは70年代の東北本線黒磯以北ですね、集中配備も吉岡さん流です。
クラブ倉庫保管の他にメンバーに散らばった車輛がたくさんあります、順を追って譲受者に紹介して頂きましょう。
○このようなピノチオの箱に入って7両きました。ピノチオの箱はコンパクトで編成として運ぶには便利でしたね。
TMS1972年8月号の広告では切妻車¥950丸屋車¥1,350でしたが、1974年1月号では切妻車¥1,300丸屋車¥1,600、
1974年10月号の値段改定で切妻車¥1,600丸屋車¥1,900になっています。この頃は頻繁に値上げされていたのですね。
中央の写真は未改造の5輌の写真です。この5両の床下器具はすべてカツミのダイカスト一体モノそのままです。
右の写真は床板に張られた銘板とアングル取り付け部です。
量産するために床板を止めるアングルが上下逆に取り付けられています。
そこに元の幅の床板を押し込んだためアングルの端と妻板の間で側板が膨らんでいるのが判ります(矢印)。
確かにこの方が位置決めが楽で正確にできます。今のIMONの金属製車輛もこの構造になっていますね。
○下の写真の2輌は彗星と筑紫用に私が改造し(アングルは一度取り外し上下逆に貼り直しました)ぶどう色1号に塗り替えたものです。
マニ32は床下器具をエコー製に変えましたがマニ60は元のダイカスト一体モノから水タンクだけ切り取っています。
次の1枚が吉岡さんの銘板を写し取って新しく改造した銘板を台車のところに貼ったものです。
新しい銘板はWordで作ったモノを貼り付けました。車内の床板にはオリジナルの銘板が残っています。
日にちを見るとHTさんが模型のアルバムに書いているように本当に1日1輌のペースで組んでいたみたいです。
先ほどのマニ60の銘板が9月1日だったので、これはその翌日に落成したことになりますね。
(こちらは貨車2輌で13mmに改軌後今も活躍しています)
○ワ22000は中村精密が発売した初期製品のワム23000を大幅に改造したもので、
車体全体を小型化しバネはリンク式からシュー式に、ブレーキ梃子とシリンダーは加えています。
車輛のナンバー以外のレタリングは白で点が描いてあるだけですが雰囲気は出ています。
床板には吉岡さんの千鳥工場、昭和50年の銘板が見えることからその頃の製作と思われます。
○カツミのワキ1はワムフ100の箱に入ってきたので、同社のワキ1000をベースにワキ1に見立てたようで、
車体には手は入れていないようですが細かく施されたレタリングが綺麗です。台車はTR41のままとなっています。
○C60 101
カツミのダイヤモンドシリーズに手を入れたもので、旋回窓のキャブやパイピング、
ランボードなどを加工した未完成状態で移籍されています。
旋回窓だけでなく、ATS発電機が左側にあるタイプを選ぶあたりはかなりマニアックですね。
ハンダ付けに自作のバーナーを使っていたことが思い出されます。
加工を引き継ぎ完成させましたが、昨年からレストアしようと分解中でした。
急遽組立てたのですが、煙室扉が散歩中で見つからず、お恥ずかしい次第です。
確か、高速貨物にC型機が起用されたことがあると聞いているので、その再現を目指していたのかもしれません。
C61との重連で奥中山を再現したいものです。このC61は最近私が入手したもので吉岡さんとは関係ありません。
○C61
当時は製品がなかったので、ダイヤモンドシリーズのC59を改造してC61を作ろうとしていました。
この状態で引き継いでいるのですが、さすがに荷が重く手がついていません。
ダイカストのテンダーを切り継いでいたのですが、後日テンダーを返してくれと言われ、
このアダチのテンダーと交換しています。
あのテンダーは何に使ったのだろう??
○マニ61 2201
ピノチオの客車キットを一日で1輌完成させていた時の1輌です。
ベンチレーターが少なく、石炭ストーブの煙突がある姿に仕上げました。詳しくは模型のアルバムをご覧ください。
○スハ43 2013
量産体制のため床下器具はカツミのダイカスト一体モノです。
塗装だけ私だったような気がします。箱の底に移籍の記録が書かれています。
○スハネ30
スハ43と同じく箱に移籍の記録がありますが手がついていません。
○D51
NJで大畑のD51を競作することになり、吉岡さんがパーツを揃える担当係でした。
D51はカツミのゴールデンシリーズだったと思いますがこの競作は誰も完成しませんでした。
◆吉岡さんの車輛は各所で更新改造され今も生き継がれています、まるで本物の車輛の様ですね。
学生時代からの夢の一つがハンプです、新鶴見操車場取材中に現物を見ながら模型で再現したいと語っていたとの事。
模型から離れてからも、「本物と模型は質量が違ってうまく転がらないから枕木の隙間から空気を吹き出して貨車を転がすんだ。」、
とアイデアを練っていたそうです、実現したら面白かったでしょうね。
もう一つ残念なのがタンク車の模型を全く作らなかった事です、「知り尽くしている」がために作れなかったとか?
今は知る由もありませんが・・・
(2021年5月 S・S)
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