ノーブルジョーカー クラブ紹介

 ノーブルジョーカー(以下NJ)は、2022年に創立50周年を迎えました。半世紀に亘り存続してきたこのクラブの歴史や活動、 会員についてご紹介したいと思います。

NJ略史


NJは、1969年に慶応義塾高校の鉄道研究会(以下鉄研)に入部した部員の中で、 鉄道模型好きの7人(石井、大山、西端、藤井、増井、宮城島、吉岡)と1学年下の竹中により1972年に誕生しました。
 暫くは飲食会や旅行をする程度の集まりでしたが、必然的に運転会を催す事になり、翌年9月公民館の畳敷きに木製道床の線路を敷いて、第1回運転会を開催しました。その後安定した走行を目指して16番の組立式レイアウトを製作することになり、金銭面の問題もあるため会組織にすることにしました。創立日は大学に進学し、鉄道100周年を迎えた1972年の鉄道記念日の10月14日とし、名称は藤井が飼っていた犬の名前からノーブルジョーカーとすることにしました。
 1980年代に入ると、鉄研出身で竹中と同年代の廣瀬と、西端が進学して設立した北里大学鉄道研究会出身者から2名(大竹、阪本)のメンバーを加えて11名の顔ぶれとなりました。主な活動は引続き年2回の公民館での運転会や不定期な飲食会等でしたが、ライブスティームにも進出して会員家族総出で泊り掛けのライブ運転会を楽しんだりもしていました。1990年代にはメンバーが公私共に多忙となり、一時クラブの活動がやや低調になりましたが、21世紀に入ると子育ても一段落し、コンベンションへのレイアウトの出展等対外発信も活発化していきました。2009年からは月例会を開催、クラブのレイアウトは幾度かの改良・増設・取替工事を行ない現在に至っています。2021年には吉岡が他界し、2名は諸事情で休会していますが、2022年には創立50周年を迎え、記念展を開催し、記念誌を刊行しました。
 半世紀の間、メンバーには就職・結婚・子育て・転勤・転職・退職や親の世話等々、趣味を続けるには困難な時期もありましたが、各家族の暖かい理解やNJの存在により現在まで活動を続けることができました。

現在のNJの活動




 現在は創立以来の原則年2回各2日の運転会を中心に、近年は月1回の例会を行うのが主な活動となっています。
 運転会では16番の組立式レイアウトが中心となりますが、各会員が組立式の13oやOナロー、12oのレイアウトや車両等を公民館の会場に持込んで楽しんでいます。基本的に運転会は非公開ですが、会員以外でも恒常的に参加している池田さんや藤井の兄もおり、近年は外部からのゲストをお迎えすることも多くなりました。
 運転会以外の活動としては、2009年から月例会を定例化し、飲食会のみならず会員等を講師として講習会を開いたり、鉄道関連の見学会などを開催したりして、以前にも増して会員の知識、技術の向上や、会員間の親睦を図っています。 以前は、鉄道模型を個々に楽しむというクラブの性格上積極的に対外活動をしていませんでしたが、2000年にはホームページを開設、以降更新を重ねて現在に至っており、アクセス数は200万回に近づいています。2001年と翌年には「国際鉄道模型コンベンション」に、2015年と2017年には「鉄道模型芸術祭」にレイアウトを出展しました。2000年と2007年には鉄道写真集「十人十色」を発刊、2022年には創立50周年の記念誌を非売品として刊行し、東京芸術劇場にて「ノーブルジョーカー50周年記念展 十人十色の鉄道模型」を開催、多くの方にご来場頂きました。このような機会を通じて多くの諸先輩や諸氏と知遇を得ることができ、会の活性化に大いに寄与しました。

NJの会員
 NJでは、恒常的に会費を払っている8名のメンバーを会員と呼んでいます。
 各会員の鉄道趣味の範囲は多種多様で、模型は当初は16番が主流でしたが、今では線路の上を走るものなら何でも、ゲージは所謂HOサイズとOサイズが主流で、車両が主体の者、固定式・組立式レイアウトやシーナリー、アクセサリー、ストラクチャー等の製作に注力する者、実物写真を主とした者など全く統一感はなく、それぞれ好きなものを好き勝手に楽しんでいます。2021年に残念ながら他界した吉岡は、多くの貨車関連の書籍を出版するなど鉄道趣味界に大きな足跡を残しました。
 各会員の職業は様々で医師、歯科医師や既に退職している者も含めて会社員や銀行員がいます。鉄道以外にも趣味を持っている者も多く、車や野鳥、音楽、旅行、グルメ、写真、版画等々話題は豊富です。半世紀に亘り会則がないにも拘わらず特にもめごともなく、趣味を同じくする生涯の友を得たことは宝物となりました。会員の老齢化も進んでいますが、退職者が出るにしたがって自由に使える時間も増えて来ました。未だ色々夢を持ちつつ、更にそれぞれの趣味の世界を追求して行こうと考えています。
(2024年2月 M.F記)