−コッペル2号機− |
頸城鉄道の2号機は、最後まで残った2呎6吋のコッペルとして広く知られている。 中学1年生の時に「鉄道ファン」誌に載った2号機のお別れ運転の記事を見て初めてその存在を知ったが、もちろん見に行くことはできなかった。 昭和41年5月のお別れ運転から3年後に初めて頸城鉄道を訪問し、直江津の頸城鉄道本社前に静態保存されていた2号機と対面することができた。原型に近く整備されて保存された姿は美しかったが、せめてお別れ運転を見たかったものだと、遅く生まれたことを恨んだものだった。 |
直江津の頸城鉄道本社前(頸鉄公園)の2号機は、屋外にもかかわらず良い状態で保存されており、元気だった往時を偲ばせてくれた。 写真で見た現役時代と比べると、キャブ両側の木製の窓やヘッドライト、キャブ前窓の庇、煙突基底部の補強帯、No2と書かれたナンバープレート、炭庫上のホース等が取り除かれて、ずいぶんとスッキリした印象を受けた。ただ、キャブ屋根上の通風口やランボード上のオイルポンプなどは改造時のまま残り、汽笛の位置もキャブ屋根上からスティームドーム後部に移されたままで、形も国鉄タイプ?なのは中途半端な気もするが・・・ 現役末期の写真には見られなかった製造銘板は美しく磨き出されてキャブ横で輝いていた。 |
Koppel 2号機 頸鉄公園にて |
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頸城鉄道の社宝として大切にされ、静かな余生を送っていたはずの2号機が、突如奇跡の復活を遂げた。
頸城鉄道全廃の1年後、昭和47年に鉄道100年を記念して西武山口線(おとぎ電車線)に貸し出され、元井笠鉄道の客車を牽いての活躍が始まった。 廃車・保存されてからかなりの年月が経っていた軽便の蒸機と木造客車を復活させ、保守していたのは大変な手間と費用がかかったことと思うが、これを実現した西武鉄道はエライ! おとぎ電車線とはいえ立派な地方鉄道で、信号機は腕木式、信号所ではタブレット交換も行っていたし、沿線は穏やかな起伏に豊かな緑が広がる丘陵地帯と、コッペルが木造客車を牽く姿はよく似合い、古き良き時代の軽便鉄道を彷彿とさせるものはあった。 残念ながら2号機の活躍した期間は短く、昭和52年には元台湾精糖公司のコッペル527号と532号に交替してしまった。それも今では新交通システムに置き換えられ見ることはできない。 |
頸城鉄道2号機は1911年8月 Orenstein & Koppel Arthur Koppel AG 製で製番は5044、 日本総代理店 Otto Reimers 商会を通じて大丸組が輸入した5両のうちの1両。 大丸組では国鉄大井工場の造成工事や品川駅周辺の埋め立て工事などに使用され、いわゆる一般鉄道用ではなかったが、工事終了後は頸城鉄道の他、草津軽便鉄道や耶馬渓鉄道に譲渡されて本来の軽便鉄道用としての用途に使用されるようになった。 草軽電鉄の前身、草津軽便鉄道の1、2号機は電化されるまでの命だったが、残された写真も時折見かける。耶馬渓鉄道4号機の写真は残念ながら見たことがない。 |
主要諸元は・・ シリンダ210×300mm、動輪直径580mm、固定軸距1,400mm、使用圧力12atm、 火格子面積0.40F、伝熱面積17.64F、整備重量9.22t、水タンク容量0.70G、積載燃料0.47G、 シリンダ引張力2,330kg、手用制動機、外側式アラン式弁装置・・・ |
臼井茂信氏の分類では「グループ C1400ミリ」、金田茂裕氏の分類によれば「 旧設計50HP Ct 」で
外側アラン式弁装置を装備し、水タンクはウエル(ボトム)タンクでサイドタンクは持たない。
プロポーションは日本にやってきた軽便用KOPPEL機の典型的なもので、また静態保存に戻ったとはいえ現存することは大変喜ばしい。 アラン式バルブギヤーは見た目もメカニカルで、山口線で復活した際に、アラン式独特の「チュクチュク」という排気音を聴き、「エキセンのゴマすり」と称される動きを見ることができたのも、ワルシャート式ばかり見てきた目にはとても新鮮であった。外側スティブンスン式とよく似ていて、違いがよくわからなかったが、後年ライブスティーム(OSのクラウス)を組んだときにスティブンスン式とアラン式の違いがよくわかった。 図はRoland Bude Junior 著「O&K Dampflokomotiven」(いわゆるブーデリスト)より転載したもので両形式の吊りリンクの違いがわかる。 |
西武山口線では井笠鉄道の1号機も復活し、2両のKoppel 製蒸機が並ぶという目を疑うような情景が展開された。
同じKoppel 製 50HP型で、ホイールベースも同じ1400mmながら、2年の製造年の違いからいろいろ相違点があり、直接比較することができたのもおもしろかった。 金田氏の分類でいう旧設計・新設計も良く現れていて、興味深かった。 ●C型B型の軸配置の違いはもちろん、弁装置がアラン(頸城)・ワルシャート(井笠)。 ●旧設計の頸城はボイラー覆いと煙室の直径が異なり、段差があるのに対し、新設計の井笠は同じ直径でストレート。 ●頸城はウエルタンクでサイドタンクは持たないのに対し、井笠はサイドタンク併用。 ●頸城は蒸機ドームから蒸気管が外に出て、煙室の下で左右に分かれシリンダーに入る通常のタイプであるのに対し、井笠はボイラー内を通って煙室内で左右に分かれ、排気管と並んでシリンダに入るタイプで、そのため蒸気ドームが異様に太い。 ・・・等々観察することができ、後年模型作りに役に立った。(例によって未完成だが!) 参考文献:臼井茂信著「機関車の系譜図2」交友社刊 金田茂裕著「O&Kの機関車」機関車史研究会刊 Roland Bude Junior 著「O&K Dampflokomotiven」 |