頸城鉄道  -その2-
カラーグラフ

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 ヨンサントウを目前にした昭和42年頃から、終焉を迎えようとしている国鉄蒸機を追う旅を始めた。いわゆる有名撮影地にもずいぶん通ったが、次第に沿線の三脚の数が増し、お立ち台まで出現するにいたると生来へそ曲がりの私は「SLブーム」に背を向け、かろうじて残っていた軽便鉄道に足を向けるようになっていった。
 なかでも、井笠鉄道と頸城鉄道はよき時代の「けいべん」の雰囲気を残し、のどかな情景と人々の暖かさに触れることができ、夢中になって通った。

 1971年4月30日 頸城鉄道廃止。 今年は廃止後ちょうど30周年にあたるのを期に、写真集「十人十色」では掲載できなかったカラー写真で在りし日の「くびき」を偲んでみたい。
(第1回目なのに、頸城鉄道その2としたのは、もちろん「十人十色」の中の「くびき」がその1だからです。
 ご覧になっていない方はまだ少数在庫があります。ぜひこちらからお求めください。・・・宣伝、宣伝・・・)


百間町駅正面
百間町駅正面 (N.I)


 初めて頸城を訪問したのは、両端が廃止されてからちょうど2年後の1970年9月26日のことだった。
 新黒井駅跡で放置されているニフやハ5などを撮した後、国鉄の黒井駅前からバスで百間町に向かった。
 「十人十色」にも書いたように、ホジ3が故障してDC92の牽く列車を撮影できたのはラッキーだった。
 折しも秋の収穫期、ハンノキを利用した稲架が印象的で、米俵を満載したワとホハの混合列車に思いを馳せるが、すでに貨物扱いは廃止、残念ながらその姿を見ることはもう叶わない。

百間町
百間町駅(K.H)
百間町車庫
百間町車庫(K.H)

溜め池に影を映して・・「十人十色」より・・
溜め池に影を映して −「十人十色」より(N.I)−
DC92が近づいてくる
DC92が近づいてくる
稲架をバックに・・「十人十色」より・・
稲架をバックに −「十人十色」より−(N.I)


--冬--
 二度目の訪問は冬休みに、豪雪と戦う「くびき」をものにしようと重装備で勇んで出かけた。ところがこの年は雪が降るのが遅く、薄く雪化粧した程度でラッセル車の出動など望むべくもなかった。
 この時は、前回訪問した際に撮した写真を車輌課長に差し上げたところ、お礼にと使わなくなったサボや車輌竣工図集、古レールの切れ端まで頂戴した。これらは我が家の家宝として今でも大切に保管している。

鵜ノ木〜明治村
鵜ノ木〜明治村(K.H)
ホジ3
上の写真と同地点(K.H)
雪に閉ざされる前に
これも上の写真と同地点(K.H)

鵜ノ木にて
鵜ノ木にて(N.I)
モノトーンの風景の中をゆく
モノトーンの風景の中をゆく(N.I)
雪に閉ざされる前に
雪に閉ざされる前に(N.I)

用水路
用水路の水も凍っていない(K.H)
明治村付近
明治村付近(K.H)



--春--
 最後の訪問は、廃止が1ケ月後に迫った1971年4月2日だった。雪国の桜にはまだ早いかと思っていたが、予想に反して満開の桜が向かえてくれた。
 百間町から飯室までホジ3の乗り心地をじっくり味わい、帰りは風に舞う桜の花びらと土の香り、淡い緑に囲まれながら全線を歩いて百間町まで戻った。
春霞の中をゆく
春霞の中をゆく(N.I)
淡い緑を背景に・・
淡い緑を背景に・・(N.I)
緑の絨毯
緑の絨毯(N.I)

明治村駅の桜
明治村の桜(N.I)
明治村駅
明治村駅は交換設備も残っていた(N.I)
最後の花道
最後の花道・飯室駅(N.I)


 頸城や井笠が消え、そのエッセンスを凝縮したような鉄道を模型で再現しようと思い立ったのだが、今までに完成に至ったのは9mmナローのホジ3だけ・・・Oナローの頸城2号機、井笠1号機など仕掛品が溜まるばかりで「完成の2文字を忘れる・・」などと書かれて苦笑いするしかない・・・
 模型化のための資料はずいぶん集めたので、完成させることのできる方に生かしていただくために、このページで追々公開していこうと思う。
 次回は「頸城鉄道-その3-」車輌たちを、ディテール写真も含めてご紹介する。乞うご期待!