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都電1系統の最後の日、中央通り・日本橋高島屋前を通る5501。 ハーフサイズカメラで、なおかつ都電を見送る方が多数で沿道は大混雑となり、 このような写真しか撮れなかったようです。
1967年12月9日 日本橋高島屋前

荒川車庫で保管された時の写真で、かなり傷みが出ていました。 ビューゲルや台車カバー、車内の座席などは取り外されいます。
2004年10月2日 都電荒川車庫

再度の修復で「都電おもいで広場」に保存展示されている5501。 集電装置は、晩年ビューゲルに交換されていましたが、 登場時のパンタで復元されています。 車内は片側運転席のみ復元、座席はありません。
2010年6月13日 都電荒川車庫


 今月の友情出演は5300形と5500形の東京都特集(?)です。 都電の廃止時期は中学生から高校生の頃でしたので、 現役の都電を知っている世代ですが、 5501と生まれ年が一緒だったことは知りませんでした。 そんな5501をT・Oのお父さんの画像を交えてご覧ください。 なお、お父さんの画像は奥野日出夫写真集にも掲載させてもらっています。
(2018年8月 H・T)
 現在の都電(愛称:さくらトラム)は、三ノ輪橋〜早稲田間 12.2kmのみの運行ですが 最盛期は40系統、約200km、175万人/日が利用する日本最大の路面電車でした。
 1967年(昭和42年)初め、東京都交通局が財政再建団体の指定を受け、 その年末12月9日に都電廃止が始まりました。 第一次として本通線(通称は銀座線)など12線区8系統、 その後1972年(昭和47年)までに七次に渡り路線撤去がなされました。
 12月9日は土曜日ですが、当時は週6日勤務、土曜日は半ドン(半日勤務)で、 父は仕事終りに、中央通りを走る都電の最後を見に行ったそうです。 その時撮ったのが、さよなら飾付けをした、PCCカー5501でした。
 戦後復興のため都民の重要な足となっていた都電に、当時は、 路面電車先進国の米国から最新技術を導入、輸送改善に繋げようとしたのがPCCカーです。 「Electric Railway Presidents' Conference Committee(電気鉄道社長会議委員)」 で開発され世界各地の路面電車に広がりました。 しかし、日本での導入では技術的課題が発生、完成・就役が大幅に遅れました。 一方交通局も独自にPCCカーの開発を進めており、 1953年(昭和28年)に5502として出来上がりました。 5501が完成したのは、翌1954年(昭和29年)ですが、純正PCCカーであり、 計画立上が早かったのでトップナンバーが付与されました。 ただ、機器取扱いが複雑、ライセンス料が高額などでこの1両のみで終わりました。 なお、PCCカーとしては、交通局が開発した5502〜5507も含めます。 特徴は、最新電装機器を搭載、窓配置が左右非対称、全長14m超の大形車です。
 大形車を運行出来る路線が限られていたため、1系統廃止時に引退していますが、 上野公園で保存展示されました。 しかし、雨ざらしで荒廃が進み、1989年(平成元年)荒川車庫へ移送し、修復を行いました。 その後、倉庫などで使用されましたが経年で車体の腐食が進み、 再度修復し「都電おもいで広場」に展示となりました。
(2018年8月 T・O)