平成元年11月12日 樽見鉄道樽見駅
この年、大学時代の仲間との恒例の旅行で岐阜に行きました。
友人と新宿から岐阜行きの夜行バスに乗って出発したのですが、
東名ではなく中央高速経由とは知らず、首都高新宿線を下ったので驚いたものです。
また、このバスの乗客は岐阜到着後にバス停前にあるホテルのロビーの洗面所が自由に使えるという特典付きでした。
さて、樽見鉄道は国鉄末期の昭和59年10月に分離、開業しました。
その後、平成元年3月には神海から樽見間が延長開業、この旅行の目的の一つがここの乗り潰しでした。
開業時に用意された気動車は2軸のレールバス、通学輸送には国鉄からオハフ33形を譲り受け、
セメント輸送と兼務のTDE10形が牽引していました。
オハフ501は元オハフ33 354です。TDE10形がSGを搭載していないため、
冬期の暖房用に大型の石油ストーブが2台設置されています。
当初はブルーの樽見鉄道カラーでしたが、昭和63年にはぶどう色2号に赤帯といういでたちに変更されています。
その後、12系が入線し平成2年3月に廃車になりました。
なお、12系はすぐに14系に置換えられ「高校生が14系で通学とは贅沢な!」と思ったものです。
バブル崩壊後はセメント業界が大不況となり平成18年3月にはセメント輸送が終了、
初代のレールバスも大型のボギー車に代替わりしていることもあり、
この14系による客車列車も終了してしまいました。
(2009年10月 H・T)
牽引機は開業に際して昭和59年に日車で新製されたTDE10 1でこれもトップナンバーです 平成元年11月11日 横屋-東大垣
こんな風景が当たり前だったのも今は昔。
デッキに警備員を乗せないと旧型客車の運行が出来ない時代となってしまいました。
文明の進化は人間を退化させてしまうような・・・