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私の中では小田急とは、戸袋に窓がある会社、そして夏場に運転台直後の戸袋窓をルーバーに交換する会社。 ロールブラインドのないドア窓だけ青い着色ガラスを使っている会社。 2灯のヘッドライトの片方しか点灯しない会社。 貫通幌を使わないのに貫通顔で立派な手すりがついてる会社。 特急車は連接構造の会社。だったのですが・・・・
3000形や4000形(どちらもニ代目)を見ると、「小田急おまえもか!」と言いたくなってしまいます。 せめて特急車だけでも伝統を守って欲しいものです。
そんな小田急スタイルの最後期を飾る5000形を友人のT・Oが撮っていましたのでご覧ください。(2009年12月 H・T)
小さい頃は阪神沿線の神戸魚崎に住んでおり、母に連れられよく阪神・国鉄・ 阪急をよく見に行った鉄道小僧だったそうです。しかしながら、あまり記憶はな く、東京に引っ越してきた小学生からの記憶しか残っていません。その最初が、 父親に連れられ新宿から乗ったロマンスカーです。途中、補助警報機としてメロ ディを鳴らしながら、湯本に向ったことを今でも鮮明に覚えています。それ以来 小田急ファンとなりました。しかし、最近小田急らしさが薄れているような気が し、ちょっと残念です。
車内端面にある番号プレート。 2006年3月27日 車内
さて、5000形は1969年(昭和44年)から1982年(昭和57年)までの長期に亘っ て製造されました。途中、千代田線乗入れ用の9000形を製造したため中断した時 期もありましたが、4連15本、6連20本の計180両造られています。なお、6連車は 9000形と同じ下降一枚窓となり側面の容姿が違うことから5200形と呼ばれること もあります。また、この車輌から小田急の鋼製車塗装がアイボリーにブルー帯と なりました。
通勤車として頑張ってきた5000形ですが、3000形・4000形(両者とも2代目) が製造されると次第に活躍の幅を狭め、このトップナンバー編成も2007年(平成 19年)に廃車となりました。
(2009年12月 T・O)