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徹明町に停車中の野一色行きモ591。記憶が定かではないのですが、折り返し時
間が40分ぐらいあり、その間道路の真ん中で申し訳なさそうに停車していまし
た。また小さなドア連動ステップも印象的です。
2003年2月8日 徹明町停車場 |
東急の玉川線沿線で育ったこともあり、路面電車は好きなジャンルなのですが、 何故か車輌に対しては好き嫌いが激しく、大雑把に言って近代的な路面電車 にはイマイチ興味が湧きません。 私の中の路面電車は泥臭くないといけないみたいです。
さて、今月の友情出演はT・Oによる名鉄のモ591をご覧ください。 (2008年8月 H・T)
名鉄は近鉄に次ぐ営業路線を持っていましたが、近年閑散路線の廃止を進めて 今まで第3位であった東武に抜かれてしまいました。600V線区も2005年(平成17 年)4月1日をもって全廃となってしまいました。
名鉄の路面電車区間は何度となく訪れているのですが、その度に思ったことが 美濃町線の車両を新岐阜に乗り入れさせるため複電圧車のモ600形を造ったり し、その後もモ880形や市内線にもモ780形を投入するなど車両の近代化には積極 的に投資を行っていたにもかかわらず、道路併用区間は岐阜駅前を除き新岐阜駅 前もですが安全地帯がなく乗り降りが不便だったことと、路面電車としては運転 間隔が大きく区間によっては1時間ヘッドとなってしまうこともあったことで す。安全地帯の未設置は道路幅や自治体が路面電車運転に積極的でなかったこと などが挙げられ、運転間隔の問題は中京地区が自動車社会ですので必然的に旅客 が少なく本数が減ったことが主因と思われます。富山ライトレールのように見事 に復活した例もあり、簡単に廃止されてしまったことは残念です。
さて、モ591は1957年(昭和32年)にモ580形の近代化型として5輌誕生した トップナンバーです。出力をUPし、住友製鋳鋼台車、大きな方向幕を装備、蛍光 灯を採用するなど当時の最新鋭の路面電車でした。市内線で活躍していました が、晩年は美濃町線の徹明町〜日野橋間の区間運転用でした。1983年にモ594、 モ595が廃車となり、600V区間全廃時にはすべて廃車されるかと思いましたが、 モ591、モ592は冷房化されていましたので、土佐電気鉄道に譲渡されています。 後部ドアを埋め込み前中2扉化されましたが、塗装もそのままに 元気な姿をまだ見ることが出来ます。
(2008年8月 T・O)
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土佐電で活躍する591形です。
車番はそのまま使用されていますが正面窓と側面の上部窓がHゴム化され印象が変わりました。 平成22(2010)年11月14日 桟橋五丁目停車場 |
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モ591と伴に土佐電に譲渡されたモ592(土佐電590形592)。向かって右側の扉が埋め込まれました。 平成22(2010)年11月14日 桟橋車庫 許可を得て撮影 |