トップナンバーアルバム

仏生山工場に留置中だった1081(手前)+1082編成です。 前面には「KHK1000 60th ANNIVERSARY」ヘッドマークが付けられています。
2019年3月24日 仏生山工場


 京急1000形は私の好きな私鉄電車の1つです。 今は高架区間が多くなりましたが、 沿線の住宅が迫る都内の地平区間を飛ばす姿に痺れたものです。 今月の友情出演は、そんな1000形が余生を送る姿をご覧ください。
(2019年5月 H・T)
 2018年(平成30年)4月初め頃だったと思いますが、 元京急1000形の琴電1081形に京急のラッピングを施すという情報が入りました。 赤に白帯の京急カラーが復活すると思ったのですが、ネットニュースを見ると、 京急の新1000形のようなラッピング車両が載っていました。 「・・・」となってしまいました。 これは、2018年(平成30年)11月18日に京急羽田空港国内線ターミナル駅が開業20 周年を迎えたことを記念した「羽田空港に到着したら京急で都心へ」 キャンペーン実施に伴うラッピングでした。 長崎電気軌道、大阪高速鉄道(大阪モノレール)、沖縄都市モノレール(ゆいレール)、 鹿児島市交通局、広島電鉄にも同じようなラッピング車両が登場していました。 ちなみにモデルとなった車両は、新1000形ではなく、2100形だそうです。
 ところが、2019年3月に、ファン有志で立ち上げたクラウドファンディング 「還暦の赤プロジェクト」で、 1080形のトップナンバー編成である1081+1082編成に京急時代の塗装(ラッピング)が施され、 運行を始めたのです。
 いつか撮りたいと機会を伺っていました。 鳴門線と徳島線乗り潰しを行いましたので高松空港から帰る途中、 琴電に立ち寄ってきました。 訪れた日は、1081+1082編成は仏生山工場内に留置されており、 走る姿は捉えられませんでした。
 さて、1081+1082編成は、元京急1000形で1009+1010+1011+1012 の4両編成として60年前の1959年(昭和34年)に製造されています。 都営地下鉄浅草線乗入れ用として設計されていますが、 前面は600形と同じ2枚窓非貫通型でした。 当時、法的に問題はなかったようです。1988年(昭和63年)に京急で廃車となり、 高松琴平電鉄へ譲渡され琴平線の冷房化を推進しました。 なお、入線にあたり4両固定編成で中間車にパンタや制御機器を搭載していたため、 京急車両工業で、1009の運転室を1011に取り付ける先頭車改造を行い、 1012と組み、2両編成で琴電に入線しました。 琴電では従来車と併結可能とするため、主幹制御器をHL(間接手動進段車)にして、 ブレーキも発電制動併用電磁直通ブレーキから直通空気ブレーキへ変更されています。
 1080形は、製造後60年ぐらい経っていますが、 高松築港駅構内で高潮被害を受け調子が良くなかった 1089+1090編成以外の5編成が健在で琴平線で活躍しています。
(2019年5月 T・O)


「羽田空港へ到着したら京急で都心へ」キャンペーンで、 京急広告ラッピング車となっている1083+1084編成。
2019年3月24日 空港通り駅

本来の塗装は、上部がアイボリーホワイト、下が黄色です。 写真は1087+1088編成。
2019年3月24日 空港通り駅

京急1000形登場時は、 このような600形と同じ非貫通の2枚窓で浅草線乗入れ開始に伴い、 貫通式前面に改造されています。 写真は、逗子市第一公園で保存されているデハ601。
2008年1月31日 逗子市第一運動公園