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地上時代の北鉄金沢駅に停車中のモハ5101。 貫通扉を後付したため幌枠が両サイドの窓にかかっています。 1991年11月24日 北鉄金沢駅 |
車庫がある内灘の風景。手前からモハ3301、モハ3563、モハ3551でテールライト
がかなり下に付いていたのが印象に残っていました。一番奥がホームに停車中の
モハ5101。北鉄は少数多形式だったのでトップが沢山いました。
1991年11月24日 内灘車庫 |
1991年は、モハ3761を撮影していませんでした。2002年に 再び鶴来車庫に訪問
した時の写真です。7000系を導入した時ホーム嵩上げを行っていますのでステッ
プが埋められています。後に見えるのはホム1とモハ3752です。 2002年11月24日 鶴来車庫 |
内灘で昼寝中のクハ1301。 1991年11月24日 内灘車庫
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今月の友情出演はT・Oが得意とする地方鉄道です。解説にあるように平成3年 には仲間と一緒に北陸鉄道を訪ねてはいるのですが、まぁ連れて行ってもらった というところです。模型では地鉄系に共感を持つのに、実物には今一つ興味がわ かないのは何故でしょう・・・(2008年7月 H・T)
現在の北陸鉄道は石川線と浅野川線のみで両線併せても23Km弱のローカル私鉄 ですが、かっては軌道線(金沢市内線や金石線)を含めて石川県内に140Kmを持 つ大きな鉄道会社でした。しかしながらモータリゼーションの波に押され次々と 廃止され1990年代初めには現在の姿となってしまいました。 私が大学時代の鉄研仲間たちと北陸鉄道に訪れたのは1991年(平成3年)でし たのですでに石川線、浅野川線のみとなっており、さらに石川線は元東急の7000 系を導入し、新性能化が進んでいました。ちなみにこの時、一緒に旅行したH・T さんがこのトップナンバーアルバムで「7001」を紹介しています。しかしなが ら、浅野川線はまだ旧形車天国でした。
今回はここで撮った5100形を紹介したいと思います。5100形は1951年(昭和26 年)に石川総線用に広瀬車両で3両製造されています。2扉17m、ロングシートの 平凡なスタイルの車両ですが、面白いことに3両全てが北陸鉄道に在籍していな がら最終的にトップナンバーとなる経歴を持っています。(石川総線とは:野町 〜加賀一の宮間の石川線、1984年に廃止された加賀一の宮〜白山下間の金名線、 1980年に廃止された鶴来〜新寺井間の能美線が直通運転を行っていたための総称 です。)
まずモハ5101ですが、1963年(昭和38年)衝突事故で前面を破損し、復旧の際 に貫通化されていますが、最後までそのまま姿を保っていました。1969年(昭和 44年)に浅野川線に転属、1996年(平成8年)の1500V化により廃車されています。
次にモハ5102は、1971年(昭和46年)に同僚のモハ5103と共に出力アップ、間 接自動制御化されモハ3761に改番、トップナンバーとなりました。さらに1985年 (昭和60年)に更新工事を受け内外装を一新しています。1990年に7000系を導入 した時、旧形車はほとんど廃車されましたが、更新後まもないことから予備車と なっています。2002年(平成14年)再び北陸鉄道に訪れた時には鶴来の車庫で休 んでいました。しかしながらATSの運用開始に伴い本線を走れなくなり2006年 (平成18年)に廃車、現在は能美市立博物館で保存されています。
最後にモハ5103ですが、モハ3762に改番された後1986年(昭和61年)更新工事 を受け、さらに1990年の7000系導入時に電装解除され両運のまま1300形クハ1301 となり浅野川線に転属、朝夕、モハ5101と組み運用されました。こちらも浅野川 線が1500V化された1996年(平成8年)に廃車されています。
車両にも歴史があり辿っていくと面白いことが判ります。(2008年7月 T・O)