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ワンマン化で後扉が閉鎖され、座席が延長されていますが、 外観の変化は少ないですね。また、広島電鉄は路面電車には珍しく、 ほとんど区間でシンプルカテナリー式の架線が張られているのが特徴です。 |
令和7年(2025)11月27日 紙屋町 |
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広島駅の工事期間中は新路線の桁下をくぐることになるのですが、 その高さが低くてひし形パンタグラフでは通過出来ないことから、 対策として全車シングルアームパンタに換装されています。 |
令和7年(2025)11月27日 袋町 |
大学鉄研の同期(ノーブルジョーカーは高校鉄研由来なので別のメンバーです) とは年に一回旅行に行くのですが、昨年は広島でした。 こちらのメンバーには国鉄・JR・私鉄完乗組が3人もいるので、 広島駅へのルートが変更になった広島電鉄が主目的でした。
私はJRバス中国のドリーム号で広島入りし、 ノーブルジョーカーの掲示板で知り合いになった 「まろねふ」さんに広島電鉄の案内をお願いしました。 平日朝の雰囲気を味わうならと紙屋町から撮影をスタートすると 651が7系統でやってきました。 運行情報から7系統で戻ってくることが確認できましたので袋町で狙うことにしました。
現在の広島電鉄の車両の中で被爆経験のある唯一の形式が650形です。 原爆では多くの車両が被爆しましたが、 大半の車両は修理され広島の足として復興を支えてきました。 しかし、当時の主力は二軸単車であり、次第に京都、大阪、 神戸などから転入したボギー車に置き換えられ、 被爆電車は当時最新型だった650形だけとなりました。
650形は昭和17年(1942)に木南車輌製造で651〜655の5両が新製されています。 戦前、大手車両メーカーが鉄道省、南満州鉄道向けの生産に追われる中、 昭和14年(1939)創業の木南車輌製造は中小私鉄向けの電車や路面電車を生産しますが、 高い技術力とデザインを特徴としていました。 戦前の鉄道省には流電モハ52形やモハ60形、 オハ35形などにノーシル・ノーヘッダー車が登場したものの、 全面的な採用には至らない時期に、 650形はノーシル・ノーヘッダーの車体で誕生しています。 戦後、木南車輌製造は戦災復旧車なども手掛け、 客車にも製造銘版を見ることができますが、 残念ながら経営破綻してしまいました。
さて、650形は戦争では5両とも被爆しましたが修理のうえ復帰しています。 その後、昭和42年(1967)に655が事故で廃車になりましたが、 4両は昭和50年(1975)にワンマン化、昭和61年(1986)には冷房化されています。 しかし超低床の連節車が増備されると活躍の場は狭まり、 平成18年(2006)に653と654が引退、 653は平成27年(2015)に昭和20年(1945)当時の塗色に変更のうえ、貸切専用車として現役復帰、 654は広島市交通科学館で静態保存されています。 残る651・652の2両は平日朝に運用されるほか、原爆投下日には特別ダイヤで運行されています。 これからも原爆の生き証人の「被爆電車」として活躍することでしょう。
(2026年1月 H・T)
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