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トップナンバーのスユ43 1   回104レ 昭和49年12月14日


 昔々、通勤時間帯の後に到着する8レ「富士」を撮りに東京駅に行くと、 神田方の引き上げ線から11番線に出てくるのが104レ「銀河2号」の回送である回104レでした。 11番線は引きがとれないので通常は撮影対象としていないのですが、 この日はスユ43形が連結されていたので、苦しいアングルながらシャッターを切っていました。
 スユ43形は、昭和31年に6両が製造された護送便専用の郵便車です。 わずか6両の形式ながら各社から模型化されていますので知名度が高く、 逆に6両という小所帯に意外な思いを持たれる方も多いのではないでしょうか。 製造年の昭和31年という時期は、すでに10系軽量客車の新製が始まっており、 シル・ヘッダーのあるスハ43系最後の新製車になります。
 前年に製造されたスユ42形の後期形からHゴム支持の窓が採用されていますが、 このスユ43形にも取り入れられています。 スハ43系の一員ですから台車はTR40・47が標準ですが、 車内での作業がないことから廉価版のTR23を履いています。 ただ、普通のTR23ではなく、乗り心地改善で揺れ枕吊りを長くしたTR23D(防振ゴム無し) を履いているところがポイントです。 車内の見付けは次のオユ12・スユ13形と同じであり、 軽量車体の設計が間に合わなかったことによるワンポイントの製造だったのかもしれません。
 車内に区分棚を持たない護送便専用郵便車は、 私の世代ではオユ12、スユ13、スユ44、スユ15形の活躍を見ているので普通の存在なのですが、 国鉄鋼製客車としては昭和28年にマユ33形を護送便専用車に改造したマユ33形100番代が最初なのです。 そして、このスユ43形が新製車としては最初、以降その勢力を拡大したわけです。 郵便の輸送体系がこの時期から変わり始め、郵便車も2種類が必要になったということなのでしょう。
 さて、撮影時点でのスユ43形ですが、1から3が名古屋に配置で急行「阿蘇」の名古屋-門司間に連結、 5と6が門司に配置(4は47年に事故)でした。 サボには「年南東郵2」とあり、 年末の臨時輸送なのでしょうが「阿蘇」の郵便車はどうなっていたのでしょう?(2015年8月 H・T)

翌日はスユ43 2でした。「銀河」には現金輸送車のマニ30形が連結されることもありましたが、その場合は1両減車となっています。
この時は編成記録がとれていないのですが、郵便の年末輸送を優先して減車だったのでしょうか。   回104レ 昭和49年12月15日