トップナンバーアルバム

臨時ホームに到着する「富士・はやぶさ」です。     2008年2月10日 品川駅

「富士・はやぶさ」最後尾のスハネフ15-1です。もう「富士」のテールサインを見ることは出来なくなりました。   2008年2月10日 品川駅


 T・Oの今月の友情出演は東京駅発着最後のブルトレからスハネフ15-1をご覧ください。 赤字に苦しむ国鉄は、24系25形100番台と14系15形で二段寝台の上段を固定とし、寝台列車の省力化を目指しました。 当初はカーテンの開閉や寝具の回収など作業の方が廻ってきていたのですが、 いつの間にか全てセルフサービスになっていました。
 しかしです、 寝台のセット・解体は乗客にとって重要な儀式だったと私は思うのです。 それは、これを境に座席タイムと寝台タイムを分けていたからです。 この儀式がなくなったことにより、下段の人は終着駅まで自分の専用空間と勘違いし、 上段の人は下に降りるタイミングを失ってしまいました。
 最近は、開放形のハネの場合は下段から埋まりますが、そりゃそうですよね。 「はやぶさ」に乗って熊本まで上段に閉じ込められたのではたまりません。 自らが寝台列車不人気の片棒を担いでしまった24系25形100番台と14系15形は、実は私は好みではありません。 (2011年11月 H・T)
塗装工程省力化のため製造時はステンレス帯、番号でしたが、その後白色塗装(シール?)へ変更されました。   2008年2月10日 品川駅

 ノーブル・ジョーカーで客車と言えばH・Tさんですが、 今回は東海道線沿線に住み最後の九州ブルトレを見送った者としてスハネフ15-1を取り上げさせていただきます。
 2008年2月10日、廃車間近の14系「ゆとり」(2008年3月で除籍)が運転されるということで出かけました。 品川に到着するとカメラを持った鉄ちゃんがウロウロしています。 なんだろう、と思っていたら「富士・はやぶさ」が1時間半遅れでもうすぐ到着ということでした。 良い場所ではなかったのですが、到着する「富士・はやぶさ」を撮影すると、最後尾がスハネフ15-1でした。
 寝台特急はサービス電源を集中方式としていましたが、 分割列車では別の電源車を準備しなければならず運用が制約されるため、 サービス電源を床下に設置した14系が開発されました。 北陸線の火災事故で一時中断をしましたが、1978年(昭和53年)安全対策を強化した15系として製造が再開されています。 B寝台も2段化され居住性が改善されましたが、すでに寝台列車が衰退を始め、63両製造で終わっています。 とはいえ、九州ブルトレの最後「富士・はやぶさ」は分割運用でしたので、最終日まで働きました。 JR九州ではイベント用に14・15系が9両残りましたが、 このトップナンバーは残念ながら2009年に廃車されました。(2011年11月 T・O)

最終製造のスハネフ15 21(“-”はありません)はほぼ登場時の姿で残りステンレス帯、番号でした。
また何故か「JR」マークもついていませんでした。             2009年3月12日 二宮〜大磯

ステンレス帯が残るスハネフ15 2です。オリジナルの裾の帯は貫通扉まで達していません。
また、オハネフ25の100番台以降はトイレ側の妻板にもテールライトがあります。 特急車のプライドはどこへ行った!?
平成18年12月16日  横浜駅  2レ「富士・はやぶさ」  撮影:H・T