昭和49年12月1日 赤羽駅 123レ
赤羽駅は、今や埼京線・湘南新宿ラインが発着し、大改良工事で
すっかり変わってしまいましたね。この写真を撮った当時は京浜東北線
のホームだけが高架で京浜東北線との乗り換えには階段を上がったり
下がったり(勿論エスカレーターなんてありません)不便な構造の
駅でした。
上野口には客車の普通列車が残っていましたが、上野駅は撮影には
向きません。上り列車は大宮駅、下り列車は赤羽駅で撮影できることを
発見したものの、赤羽でさえ感覚的に遠い場所でした。もっと足を向けて
いればと今頃後悔しても手遅れもいいとこですね。
一ノ関行き123レは赤羽駅11時26発、終着駅の一ノ関は22時42着、
今だったら一ノ関に着くまでにいったい何回乗り換えが必要なんでしょう?
でも所要時間は今のほうが2時間ぐらい早いようで、電車って偉いですね。
で、上野からの牽引機はEF57、この日は機関車の次位にマヤ34が連結
されていました。
さて、スハ43形といえば戦後の代表形式ですね。このスハ43のトップは
昭和26年に新潟鉄工所で製造、品川に配置され優等列車の花形として活躍
しました。このスハ43系は丁寧に造られており、外板は綺麗に平面が出て
いたことが思い出されます。その後、電気暖房を取り付け、番号に2000が
プラスされています。晩年の配置は盛岡で昭和62年2月に廃車になりました。
(2009年6月 H・T)