中央に便所を置いた合造車の窓配置がわかります。 昭和49年7月27日 深川機関区
国鉄末期には労働組合が車両にスローガンを書くことが流行りました。
たいがいは機関車に書くのですが、看板代わりに救援車に書く例もありました。
「北海道まで来たのに、これか・・・」とがっかりしたものです。
昭和49年版の国鉄車両配置表を見ると、
深川機関区にはD51・D61・9600の3形式13両のSLとDD13が1両、合わせて14両の配置がありますが、
昭和55年版ではDE10とDD14が1両づつの2両に減っています。
これこそが合理化なんですね。
さて、スエ32形ですが、これは少々曖昧な形式です。
1と8がマユニ31形から、2から7がマニ31形から改造されましたが、
4から7はすぐにスエ31形に改番されています。
当初は種車で形式を分けようとしたが、
すぐにスエ31形に一本化することになったと推測されます。
このトップナンバーは、昭和39年3月に旭川工場でマユニ31 12を改造して誕生、
マイナーな形式ながら長寿で廃車は昭和61年3月でした。
更に幸運なことに三笠鉄道村に収容されています。(2012年1月 H・T)