トップナンバーアルバム

大阪駅の下関方には荷物ホームがあり、常に荷物車、郵便車が停車していました。 首都圏は汐留駅、隅田川駅が整備され東京駅、上野駅に荷物列車が発着することはなくなりましたが、 大阪は荷物駅を分離することができず最後まで荷扱いが残りました。
オユ14 1  昭和50年2月26日 大阪駅


 このトップナンバーアルバムで紹介する郵便車はこれが6形式目になります。 別に郵便車が好きで追いかけていた訳ではないのですが、 トップナンバーの捕獲率が高いのは何故でしょう。 ということで、前回のスユ44形に続き今回はオユ14形をご覧ください。

 オユ14形は昭和47年に9両が製造されました。 実質的には前年に製造されたオユ11形の増備ですが、変更点が多いことから形式が起こされています。 形式に「14」がつくこと、台車がTR217Eとなったことから12・14系の仲間のように感じられますが、 12・14系の範疇に入れるのは微妙なところです。 形式としてはオユ10、オユ11、オユ12、スユ13の次だからオユ14となっただけなんですね。

 さて、オユ11形からの変更点としては、台車が空気バネのTR217E、 ブレーキがCL自動空気ブレーキ装置となり110km/h走行が可能となったこと、 車体の不燃化をすすめて内張り、床に使っていた木材を鋼板、軽合金板としたことがあげられます。 また、暖房は蒸気暖房に加え、自車電源による電気暖房を持ち、 機関車を連結していない状態でも暖房が可能となりました。 ただし、一般電暖車の引き通しを持たないので番号は2000番台ではありません。

 趣味的には区分室の違いで番号が分けられたことが大きいのではないでしょうか。 従来と同様の区分棚を種別1とし、東海道・山陽本線用の区分棚とした種別2が試行されました。 種別1が0番台で1〜4の4両が宮原に、種別2は200番台とされ201〜205の5両が門司に配置されています。 次の形式であるスユ16形にも200番台が引き継がれているので好成績だったのでしょう。

 しかし、昭和43年には仕訳作業の機械化を前提として郵便番号が導入されています。 当初は労働組合の反対もありましたが仕訳の機械化は時代の流れと言えるでしょう、 揺れる車内での人手の仕訳作業も過去のものとなってしまいました。
(2020年10月 H・T)


種別2の200番台です。0番台とは窓配置が異なります。 新製翌年なのでまだ綺麗ですね。屋根は規程とは異なり銀色ではなくグレーでした。 また、隣りのオユ12形と比べると雨どいの位置が変更されたことがわかります。
オユ14 202  昭和48年8月5日 岡山駅