オル30 1 昭和55年2月28日 広島駅
二重屋根の明かり窓は模型化の処理で悩むところですが、
戦時中の灯火管制により塞がれ、戦後に復活したのは超優等車だけとのこと。
広島在住の「まろねふ」さんがノーブルジョーカーの運転会に合わせて上京されましたが、
それを記念した広島特集の最終回は広島で最後まで活躍したオル30をご覧いただこうと思います。
昭和55年の2月終わりから3月にかけて名古屋・岩国・広島・大阪と旅しています。
記憶が薄れているのですが、この時の目的は撃墜率の低い岩徳線運用についている岩国の客車撮影がメインで、
尼崎で福知山線、大阪で九州ブルトレ等をからめていたようです。
このトップナンバーアルバムに掲載済みのオハ50や、このオル30は「撮れたらラッキー」と思いながらも、
広島でしっかり時間をとっていました。
それと言うのも、この時点で残る配給車は広島の2両と北海道のオル32が2両の合わせて4両に減っていたからなのです。
電車の配給車が工場から車輪やパンタグラフなどの部品を運んでいたのに対して、
客車の配給車は用品庫から各種の資材を駅などに運ぶ役目だったと思います。
広島の2両は広島資材センターから芸備線経由で山間部の駅を廻っていたのではないでしょうか。
運良く2両揃ってホーム横に出て来たところに遭遇出来ました。
オル30形は昭和32年から36年にかけてスニ30形・スユ30形から改造されました。
便所なしの0番代が10両、便所付の100番代が5両、計15両の陣容です。
同系にオハ30形・オハ31形・オハフ30形・オロ31形から改造されたオル31形があり、
こちらも便所なしが0番代で53両、便所付が200番代で23両ありました
(模型のアルバムに掲載したオハ30形も配給車になっていた訳です)。
オル30 1は、大正15年に日車支店でスユフ47502として製造、昭和3年の称号改正でスユ36002、
16年の称号改正でスユ30 3となり、32年1月に長野工場でオル30 1に改造、当初は鹿児島に配置、
正確な移動時期は不明ながら39・40年の配置表では梅田、42年以降の配置表では広島にあり、
昭和60年2月28日に廃車、同時に形式消滅となっています。
同僚のオル30 10は、昭和4年に大阪でスニ36664として製造、16年の称号改正でスニ30 99となり、
36年11月に幡生工場でオル30 10に改造、配給車としては最初から最後まで広島に配置、
トップナンバーより一足先の59年3月に廃車になっています。
(2014年5月 H・T)
オル30 10 昭和55年2月28日 広島駅
製造年の昭和4年は、すでにスハ32系の製造が始まっており、
側面の窓廻りの寸法がスハ32系と同じに変更されていますので印象が異なりますね。