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オハネフ13 2601  10系ハネの冷房化では通路側の窓を埋めて冷房配電盤が設置されましたが、 ナハネフ11形はここに車掌室があるので車掌室と乗務員室ははさまれた通路の乗務員室の壁に設置、 冷房化で窓配置に変更がありませんでした。 なお、ナハネフ11形の新製時には給仕室でしたが、 37年度に職務名称の変更があり乗務員室となりました。
昭和49年12月1日 東大宮


 東大宮に留置線があることを知ったのは大学生になってからだったと思います。 何か客車が撮れるかな?と思い東大宮から歩いたのですが、えらく遠かった覚えがあります (まだ土呂駅がなかったのです)。 歩いた甲斐があり、当時はまだ現場も寛容で中に入って写真を撮らせてもらえたものです。

 さて、寝台専用列車のハネフといえばオハネフ12形が思い浮かびますが、 110両のオハネフ12形に対して僅か16両という小世帯のオハネフ13形が存在しました。 オハネフ13形はナハネフ11形を冷房化して誕生したのですが、 ナハネフ11形、オハネフ13形とも600番台だけで0番台が存在しません。 という訳でオハネフ13形のトップとなる2601番をご覧ください。

 ナハネフ11形は昭和37年(1962)3月に601〜608と2609〜2616の16両が新製されました。 同時に36年12月から37年3月にかけてオハネ17形にも600番台が24両誕生しています。 これは、国鉄が発行した債券を旅行会社等が購入し、 その資金で製造したので番号が分けられました。 この600番台は旅行会社主催の団体旅行に使用し、団体列車を運行しない時期には一般の列車に連結されました。

 誕生の経緯が特別なだけでなく、塗色も特別でした。 昭和39年10月から10系と近代化改造を受けた車両の塗色が青15号となりましたが、 それに先立ってこの600番台は青15号に裾にクリーム色の帯といういで立ちで登場しています。 青15号にクリーム色の帯の組合せは、 帯の本数こそ違いますが昭和33年10月から35年12月までの「はつかり」がありました。 また、昭和35年度に近代化改造されたスハ44形とスハフ43形、 スハニ35形は観光団体専用列車用として青15号に裾にクリーム色の帯でした。 客車列車がぶどう色2号だった時代には特別な存在だったでしょうね。 これら団体専用塗色は昭和40年過ぎあたりから帯を消し、 区別なく定期列車に使用されるようになったようです。

 オハネ17形、ナハネフ11形600番台では中段の仕切り壁を跳ね上げることが出来るようになっていました。 ナハネ10形、ナハネ11形に採用されていた構造ですが、次のオハネ17形では固定とされています。 団体列車は昼間の座席使用時間が長くなることが想定されたことから復活した装備です。

 ナハネフ11形は昭和41年には全車が電気暖房を装備、 昭和43年4月から44年3月に冷房化されオハネフ13形となりました。 冷房化時点の配置は品川でしたが、尾久、向日町、福井に分散し、 49年には尾久、福井で「十和田」「津軽」「越前」などに使用されましたが、 2601は50年1月に廃車、昭和58年8月には形式消滅しました。
(2021年1月 H・T)


オハネフ13の2611番ですが寝台側の側面です。 車掌室の窓が通路側にしかないため、寝台側のデッキドアが1枚の下降窓になっています。 同様の措置はスロフ62形にも見ることができます。 ナハネフ11形・オハネフ13形では大型蓄電池(見た目は一緒ですが厚みがあります) を採用したので寝台側に蓄電池がないのが特徴です。
昭和49年7月22日 青森駅