新製後間もない割に綺麗ではないのはスローガンを消したため 昭和55年10月25日 岩見沢客貨車区
マニ50の時にも書きましたが、
50系は短命に終わった不運な客車ですね。
旧型客車の置換えが課題となりましたが、赤字の国鉄としては、
朝晩の通勤需要に対しては気動車・電車よりも廉価な客車で対応する事になりました。
ここには貨物輸送の縮小で余剰になった機関車の活用先という一面があったようです。
ところが急行の削減で急行型気動車・電車がローカル輸送に廻る等々予期せぬ事態に見舞われて短命に終わる事になってしまいました。
さて、そんなことになるとは夢にも思わず、
北海道には50系の極寒地仕様としてオハ51形とオハフ51形が昭和53年から57年にかけて投入、
オハ51形は1〜62の62両が製造されています。
北海道仕様のお約束で窓は面積を小さくした一段上昇窓,塗装はオハ50形と同様の赤2号のレッドトレインです。
学生時代には北海道には一度しか行かなかったのですが、
社会人になると何故か昭和52年、53年、55年と続けて渡道しています。
この年の目玉は、スハ42形を改造したスハフ42形523番、北見に残る配給車オル32形、
そして新製間もないオハ51・オハフ51形の撮影でした。
3つの目的が果たせたから(?)という訳でまありませんが、
次の渡道は「海峡」廃止が決まった時なので、ずいぶん間が空いてしまいました。
このオハ51 1は平成3年3月にトップをきって廃車、最期に残ったオハ51形は「海峡」用の5000番代ですが、
「海峡」廃止後に順次廃車となり、オハ51形は平成15年(2003)に形式消滅しています。
スハフ42 513 スローガンが書かれた車体も今は思い出・・・・ 昭和55年10月25日 岩見沢客貨車区