昭和55年2月28日 広島駅 824レ
オハ50形は、旧型客車の置き換えを目的に昭和52年から57年までの間に335両が製造され、
あっという間に全国で見られるようになりました。
電車・気動車が主流になっていたにもかかわらず、あえて客車を新製した目的の一つは、
貨物列車と機関車を共用し機関車の運用効率向上と製作費の削減を図ることにありました。
しかしながら、この前提条件は貨物輸送の縮小の断行により脆くも崩れ去り、
またフリークエントサービスの強化などオハ50を取り巻く環境が一気に変化し短命に終わったのは、
一鉄道ファンとしてとても残念なことです。(2003年1月 H・T)