スハフ14 1。この車両のみ発電エンジンを積んでいます。 2004年11月20日 山北駅
オハ14 1。JR東海は下廻りをグレー塗装しています。 2004年11月20日 山北駅
オハフ15 1。スハフ14からは自車を含め6両が給電が出来るため、
エンジンがないオハフ15も製造されました。
この車両は編成の端に出ることがなかったのか、妻面が色褪せています。 2004年11月20日 山北駅
ステンレス板切り抜きの品のある形式番号
今月の友情出演は、JR東海時代の14系をご覧いただきます。
14系といえば、14系寝台車の座席版というよりも、12系の特急形と言うほうが合っているように感じますね。
この14系、特急形と言っても新製時には定期運用を持たず、当初より波動輸送用だったことは他に例がないのではないでしょうか。
14系が誕生した当時、急行の特急格上げが盛んに行われ、特急の格が相対的に下がってきた時期でもあります。
同期の183系電車と同じく特急車としては初めて2扉を採用したことは時代を物語っていますね。
14系座席車の第一陣は秋田に配置(スハフ-オハx4-オハフが4本に予備のスハフ)され、
「つばさ51号」などに使われていましたが、
いつの間にやら名古屋に移動、そして四国に買い取られ現存することはなによりです。
(2014年2月 H・T)
2014年(平成26年)1月28日、また客車が帰らぬ旅立ちをしました。
尾久から長野へ「北陸」で使用していた14系寝台車が4両、
「九州ブルトレ」の14系寝台車4両が熊本から小倉へ廃車のため輸送されています。
さらに今年(2014年)3月のダイヤ改正で「あけぼの」が臨時運転に格下となり、
定期列車の「ブルートレイン」は24系「北斗星」と14系寝台車と座席車混結編成の急行「はまなす」だけになります。
今回のトップナンバーは「はまなす」にも使われている14系座席車です。
国鉄は1960年代の終り頃から波動輸送用として12系客車を所有しており、
冷房付きで110km/h運転可能な唯一の座席客車であったため、臨時特急としても運用されることがありました。
ところがボックスシートのため特急料金を割り引きしても乗客の評判があまり芳しくなく、
1972年(昭和47年)に183系電車特急車と同じ簡易リクライニングシートで特急仕様の座席客車を造りました。
これが14系座席車です。前年に誕生した14系寝台車と同じ下廻りとしたため同系列の「14系」を名乗っています。
スハフ14 1、オハ14 1、オハフ15 1は同年新潟鉄工所で誕生しています。
余談ですが、この簡易リクライニングシート、背中に力を入れ倒しますが、ストップが出来ず、
力を緩めたりすると自動的に戻ってしまいます。
そのため、私は座り心地が良いとは感じませんでした。
スピードアップや終点での機廻しの手間などで客車列車が減少し、14系も次々廃車となりましたが、
どう言う訳かこのトップナンバーはJR東海で生き残りましたがJR東海の機関車・客車廃止で、
JR四国へ移籍し、現在は高松運転所で休車状態で保管(?)されています。
気がつけば、14系座席車は「はまなす」以外ではJR北海道のSL列車とJR西日本の「サロンカーなにわ」だけとなり、
原形を保つこの車両達がどこかで復活運転をしないかと思っています。
EF58 122と157の重連がこのトップナンバーを含む14系座席車 5両を牽引した「御殿場線70周年号」。
これがJR東海としては最後の客車イベントとなりました。 2004年11月20日 御殿場〜南御殿場
「新型客車で100円安い」とポスターに書かれていた12系を使用した「しおじ」。
昭和47年3月19日 下関駅 (撮影:H・T)
四国では屋根の下に置かれていて写真は撮れませんでした。 平成22年11月13日 高松運転所 (撮影:H・T)