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救援車は狭いところにあって撮りづらいことが多いのですが、ここも障害物があってこんな写真しか撮れませんでした。 昭和51年3月13日 |
昭和51年の春休みは四国に遠征しました。 まだ宇高連絡船の時代です、四国の客車のうち東京で見ることができたのは、 高知と高松の郵便車、荷物車だけ。 ロングシートのオハ41形、急行の職場を失ったスハフ43形など四国に行かねば撮れません。 そんな四国一周の旅で出会ったのがオエ61形のトップナンバーでした。
すっかり記憶が薄れているのですが、 オエ61形のすぐそばに68692が静態保存されていて、 横には徳島県の鉄路の年表がありました。 意外なことに、高徳本線より吉野川沿いの徳島本線のほうが先に開通しています。 宇高連絡船の時代は高松を起点として四国内の各地にネットワークが組まれており、 そのネットワークからは外れる徳島本線が先というのが意外だった訳です。 本四連絡橋の今は、ネットワークがすっかり様変わりしてしまい、 宇野駅は寂れてしまいました。
さてさて本題のオエ61 1ですが、 昭和41年10月に多度津工場でオハユニ61 91を改造して誕生しています。 その種車のオハユニ61 91は昭和27年11月に宇都宮車両でナハ22652を鋼体化したものです。 オエ61 1の配置は小松島、徳島気動車区の救援車でした。 廃車は昭和62年1月ですから、国鉄民営化の直前まで現役でした。 そして廃車後は解体されることなく、徳島運転所で倉庫として利用されていました。 鉄道ピクトリアルの鋼体化客車特集にその姿が掲載されていますが、 その後すぐに撤去されてしまったようです。 (2017年6月 H・T)
徳島の鉄路の年表です。 昭和51年3月13日 |
68692は徳島中央公園で今も保存されているようです。 昭和51年3月13日 |