ナロネ20 1 昭和50年3月8日 品川客車区での入替作業中
ナロネ20 51 昭和50年4月11日 二宮駅
運用をはずれた車両は二宮駅測線に疎開していました。
鉄道ピクトリアルにも同じアングルの写真が掲載されています。
51番には汚物処理装置が見えますが、
台車などの汚れ方から準備工事で終わったと思われます。
日車と日立では個室の窓の位置が異なるのですが、
並べて見るとその差がよくわかりますね。
鉄道ピクトリアル7月号の特集が「20系固定編成客車」でしたので
20系からナロネ20のトップナンバーをチョイスしてみました。
ナロネ20形は20系誕生の昭和33年に1・2・51の3両が製造された個室寝台車であることは有名
(ですよね?)。一人個室が10室、二人個室が4室、合計の定員はわずか18名とまさに
「走るホテル」を具現化した車両でした。
誕生から新幹線博多開業で運用をはずれるまで一貫して東京と博多を結ぶ「あさかぜ」に使用され、
地元へ帰る代議士がよく利用したのも有名な話。(しかし代議士はタダで乗れるんですよね)
昭和50年3月の「ひかりは西へ」と引き換えに引退との情報が入り「これは乗るしかない!」と
友人と切符を買いに走りましたが時すでに遅し。同時に引退するナロ20に乗車しました。
やはり引退間際にノーブルジョーカーのメンバーでもある先輩二人は
運よく二人個室を確保して乗っているのです。
さらに某先輩は関門トンネル付近でこの個室に便乗したとか(もちろん無賃乗車ですよね)。
(2005年6月 H・T)
ナロネ20の2人個室に乗ったのはS.Nと私です。
廃止の迫った1975年3月5日の下り「あさかぜ」に東京から博多まで乗車しました。
左が門司駅で停車中に撮った証拠写真です。
窓配置から日立製のナロネ2051のようですね。
窓越しにぼんやり見えるのがS.Nと門司から小倉まで便乗したS.Yです
(もう時効ですよね)。
4室ある2人個室のうち2室は、4人個室としての利用を想定し、
間仕切りが開放できるようになっています。
たまたま乗車したのがその部屋だったので、隣の乗客が下車した後、
間仕切りを開けてみたのが右の写真です。あとで車掌さんに怒られましたが・・・
(2005年6月 T.O)