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◯ナハネフ23 1   東京駅 8レ「富士」   昭和49年5月2日


 新春のネタは客車でしょ、と何にするか探していたのですが、もう終わったつもりの20系に漏れがあることを発見。 そんなことで今月は切り妻の緩急車ナハネフ23形をご覧ください。
 ナハネフ23形は基本編成用の切り妻の緩急車ですが、20系としては追加で誕生した形式になります。 昭和33年10月のダイヤ改正で電車の151系とともに客車の20系が誕生します。 最初は「あさかぜ」に使用、翌年には「さくら」、35年には「はやぶさ」が、38年には「みずほ」が20系化されますが、 ここまでは緩急車は座席車のナハフでした。
 昭和39年10月改正で「みずほ」の大分行き付属編成が独立する形で20系5本目の「富士」が誕生しますが、 これまでの実績をふまえ、座席車をやめて全て寝台車とすることになり、ナハネフ22形とこのナハネフ23形が誕生します。 10月改正用なのですが、5月に落成し6月から「みずほ」に使われています。 ナハフの寝台車化改造を進めるために早く落成させた訳ですね。 10月改正で「富士」が走り始めますが、ナハネフ23形がどの列車に使われたのか、どうも判然としません。 興味深いのは、ナハネフ22形とナハネフ23形が落成した昭和39年5月の段階では座席車改造のナハネフ20形、 ナハネフ21形が落成していないのですがこちらに先の形式番号が割当られていることです。
 さて、昭和38年5月にナハネフ23形は4両が製造されました。 翌年には「ゆうづる」「あかつき」用の増備があり、残っていたナハフを東北特急に廻し九州特急は寝台車化が完成します。 しばらくはナハネフ21形が「さくら」に使われますが昭和46、 47年にはナハネフ21形が品川から転出しナハネフ23形で統一されます。
 昭和50年3月改正で新幹線が博多まで開業、20系の運用にも大きな変化がありました。 このナハネフ23 1は尾久に転属、特急に格上げされた「北陸」「北星」に使われます。 しかし、翌年には急行「新星」「天の川」が20系化、トップナンバーを含む若番が急行用の指定を受けました。 更に53年10月改正では「北陸」「北星」が14系に置き換えられると余剰車として押し出され、下関で波動用となりました。 ここも安住の地とはならず、車齢の若い車の転入と引き換えに昭和55年9月に廃車となりました。 この転入車がその後ホリデーパルになるわけですね。
(2016年1月 H・T)

◯ナハネフ23 8  写真が1枚では淋しいのでもう1枚。ごく稀に14号車に入ることがありました。 貫通扉はステンレス無塗装でした。
電車だったら車体色なのですが不思議ですね。   東京駅8レ「富士」 昭和50年1月12日