昭和53年3月27日 502レ 日南4号 門司駅
国鉄末期に誕生した50系ですが、末期症状に翻弄され短命に終わってしまいました。
同じ頃生まれたク5000形(最後の増備車)、DD16形などもにすぐに職を失ってしまい、
方針転換に泣いたものです。これは国鉄末期の混乱状態ゆえのことですが、
最近にも山手線の6扉車など同様の事態が見られることが解せないですね。
さて、マニ50形は老朽化した荷物車置換え用として昭和52年度から56年度にかけて164両が製造されました。
1977年版の国鉄車両配置表を見ると、マニ35形13両、マニ36形235両、マニ37形37両、
スニ40形41両、スニ41形13両、マニ60形389両、マニ61形31両の計759両が在籍していました。
方針の変更がなければ、もっと多くのマニ50形が製造されていたのでしょうが、
昭和61年に荷物輸送から撤退してしまいましたので、最後の車は5年余りで職を失ってしまいました。
この時は、急行に転用された20系1000番台が目的だったのですが、宮原のトップナンバーが連結されていたものです。
12系と併結する20系は番号が変わったので撮りに行きましたが、都落ちした20系には淋しさを感じたものです。
(2011年10月 H・T)