昭和46年7月23日 大館機関区
昭和48年8月3日 京都駅
私が本格的にSLの写真を撮り始めたのは昭和45年の夏からですが、この時点で
D51は四国を除く全国各地で現役であり、71年版の車両配置表を見ると645両が
在籍していました。今から思えば贅沢な話ですが「なんだD51か」の世界でした。
そんなD51の中でも「なめくじ」は最初の100両だけですから、お目にかかる確率
としては約1割。ちょっとだけ特別な存在のD51でした。
その後、SLブームに嫌気をさし、目を離したすきに無煙化が達成され、梅小路
だけが煙に出会う場所になっていました。SNによる
「雨の垂水駅」にもあるように、
梅小路の発足当初は動態保存機が本線上を走る姿がしばしば見られ、京都駅のD51も
偶然の撮影です。
しかしながら、過熱したSLブームはマナーの悪い観客をも集めてしまい、残念ながら
本線上での勇姿を見ることができなくなってしまいました。(2004年10月 H・T)