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ドーム室を備えた独特の外観をしたサロ485-1です。 |
2004年3月3日 伊東駅 |
フロアのイベントスペース。手前はカウンター。 |
2014年11月2日 譽田駅 |
ドーム室のリクライニングシート。 |
2014年11月2日 譽田駅 |
ドーム室の屋根側窓は感電事故を恐れてか掃除されていません。 |
2014年11月2日 譽田駅 |
ジョイフルトレインが華やかな頃は鉄道ダイヤ情報を見て追いかけたものです。 客車のJTはずいぶん撮ったのですが、やはり電車は優先順位が低く、 ゆうは見ただけで終わりました。 ゆうマニは撮りたかったのですが、出番が少なく撮り逃がしました。 そう、ゆうマニは北海道で使うという噂もありますが、さてどうなりますか。 今月の友情出演はサロ485-1をご覧ください。
(2019年4月 H・T)
「サロ485-1」と書くと「サロ481-1」の間違いでは、と思われる方が多いと思います。 481系、483系、485系は、国鉄が設計・製造した初の交直両用特急電車で、 最初に登場したのが、1964年(昭和39年)関西圏と北陸圏を結ぶ特急電車「雷鳥」 と中京圏と北陸圏を結ぶ特急電車「しらさぎ」です。 形式は、100の位が交直流両用を表す「4」、10の位が特急を表す「8」、 1の位が登場順で「481系」と命名されました。 北陸本線が60Hz交流区間であったことから60Hz専用の交直流車両でした。 さらに、東北本線が少しづつ50Hz交流電化区間を伸ばして、 1965年(昭和40年)に盛岡まで電化されると、上野と盛岡を結ぶ「やまびこ」 と上野〜仙台を結ぶ「ひばり」が誕生して、 50Hz専用の483系が登場しました。 両形式の電車基本構造は変わりませんが当時の技術力では専用の主力変圧器を備えなければならず、 それぞれに形式が付与されました。 しかし附随車クハ、サハ、サシ、サロは、共通で「481形」となっています。 その後技術革新で主力変圧器が共用出来るようになり、 1968年(昭和43年)に「485系」が誕生しましたが附随車は481形のままでした。 その後、電化の進展で、電車特急485系が全国各地に展開されたのは周知のことです。 そして、経年による老朽化で「481系」、「483系」が廃車されると、 いつの間にか「485系」と称されるようになりました。
一方、団体列車などはお座敷客車を使用してましたが、 1983年(昭和58年)に14系を種車として、 外観や内装を大きく変えた「サロンエクスプレス東京」が、登場しました。 この車両が「ジョイフルトレイン」の始まりとされ、以降色々な列車が登場しています。 しかし、客車であると折り返しなどで機関車付替の手間がかかるため、 JR東日本では手持ちの485系予備部品や余剰となった 485系の下廻りと新製した車体を組み合わせ電車のジョイフルトレインを作りました。 これらの車両は、直流区間はもとより、50Hz、60Hzの交流区間も走行可能であることから、 485系の仲間となりましたが、何故だか附随車の形式番号も「484、485」を与えています。
ジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」は、改造名義で1991年(平成3年)登場 クロ484-2(元サロ183-1008)+モロ484-3(元サロ189-8)+モロ485-1(元サロ189-6)+ サロ485-1(元サロ481-1002)+モロ484-2(元サロ189-7)+クモロ485(元サロ189-5) と車番が付与されました。「サロ485-1」は、決して間違った訳ではないのです。
さて、このサロ485-1は、定員外フリースペースとしてフロアとドーム室で構成されています。 フロアにはステージやカウンターが設置され、 ドーム室は一段高く、1人掛けのリクライニングシートが10脚配置されています。 当時は、「走るディスコ」とも称されていました。なお、サロ485-1は、1形式1両の珍車でした。
「リゾートエクスプレスゆう」は、老朽化のため、2018年9月に廃車されています。
(2019年4月 T・O)
「リゾートエキスプレスゆう」には、モロ485-1も組み込まれています。 登場時は1人掛けと2人掛けリクライニングシートでしたが、1998年に お座敷に改造されています。 |
2004年3月3日 伊東駅 |
団体列車として走る「リゾートエクスプレスゆう」です。 前から3両目がサロ485-1、次がモロ485-1です。 |
2018年2月3日 赤羽〜川口 |