1970年(昭和45年)3月17日 岡山駅
合造車には特有の面白みがあります。いろんな機能をひとまとめにした、
画一的ではない面白さでしょう。
制御、電動、普通座席、郵便、荷物と5つもの機能をまとめた長い形式名を持ち、
さらに1形式1両なのに3桁の000という番号の「クモハユニ64 000」はエライ!
長い形式名と、半流の非貫通の前面を持ちパンタを振りかざした姿がいかにもカッコ良く、
岡山駅の0番線で荷物を積み込んでいたところを撮しました。(N.I)
クモハユニ64 000は一形式一両の珍車であるだけでなく、数奇な運命を
辿りながらも長生きし、最晩年は飯田線で多くのファンに愛された車輌でした。
昭和18年に汽車会社でモハユニ61 001として製作され横須賀線に配置されたのを皮切りに、
昭和25年に大糸線へ転出、その際、ロングシートからセミクロスシート化されました。
その後身延線に転出、パンタの位置を前に移し形式もモハユニ44 100に変更されました。
再度大糸線に移動して、今度は第2エンドに非貫通の運転台が設けられ、
クモハユニ64 000となりました。両運転台で自連を装備、電気機関車代用として貨車牽引に
使用されたのです。
その後岡山に転出、ここでは第2エンドに貫通路が付けられ、再度ロングシート化されて赤穂線、
宇野線で活躍しました。私が撮したのはこの時代です。
岡山の戦前形電車引退時には退役せず、牽引車代用として残り、府中電車区にも
貸し出されたりした後、静岡に転出、工場入場車の控え車として活躍しました。
最後は昭和53年に飯田線に移り、しばらくしてスカ色に塗色を変更、運転室窓をHゴム化するなどの改造をされながら昭和58年の旧形国電消滅の時までを過ごし、波乱に満ちた生涯を閉じました。