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「十人十色」という言葉があるように、モデラーもコレクター、雰囲気派、
ディテール追求派など色々なタイプの楽しみ方がありますよね。私は既製品拒否
派でして、何かしら手を入れないと満足できません。これは本物に対しても同様
で、自分好みにアレンジしたフリーランスの模型をつくってみたいという願望が
あったりします。その一つの構想に地方線区向け2扉化した113系というのがあ
ります。後に、その進化形として117系や115系3000番台が登場しましたが、正常
進化形としては413系・717系があります。ところが、この413・717系は気にいら
ないのです。何が気にいらないのか、じっと見つめてみたのですが、車端に2
ボックスあるのがいけないようです。ベースが113系なので車端は1ボックスで
なければいけません。妄想ばかりで模型をお見せすることが出来ませんので、友
人のT・Oが撮影したクモハ413をご覧ください。 (2009年8月 H・T)
この時は学生時代からの友人3人と金曜夜の「銀河」で関西へ、開業したばか りの近鉄けいはんな線などを乗り潰した後、土曜日の夜、金沢へ入りました。そ して、翌日日曜日は早朝から「日本海」、「北陸」などを撮影する予定。しか し、朝起きると大雨で一応朝6時に金沢駅に行ってみたものの、暴風雨のため北 陸線青海付近で抑止中、本来なら午前3時頃停車する大阪行き「きたぐに」も到 着していませんでした。そこで駅構内をウロウロすると413系や417系が止まって おり、トップナンバーがいたので撮った写真です。 さて、413系は国鉄末期、地域密着型に移行して、地方都市でも短編成で列車 頻度を上げるをダイヤを実施するも車輌が足りず、1986年(昭和61年)余剰と なっていた急行形車輌を改造して生れた車輌です。当時の国鉄は財政悪化で、辛 うじて首都圏では205系を投入出来ましたが、地方まで手が回らず比較的支出を 抑えられる改造による手法を取りました。新車であった417系(1978年登場)や 713系(1984年登場)で採用した両開き扉2ヶ所・セミクロスシートの車体を新 製し、電装機器、台車、冷房装置を再利用、交直流区間の北陸地区に投入しまし た。同じ時期、交流区間の仙台と南九州に投入したのが717系です。ところでこ の形式、いつも迷ってしまうのですが新車は417系、713系、改造車は413系、717 系と一の位が反対となっています。 これは交直流両用車が415系(付随車は411)→417系→419系(583系改造車)と なり番号が一杯となり、空き番であった413を付与、一方交流車は711系(北海 道)→713系(九州)→715系(583系改造)でまだ番号が付与できたために起った 珍事です。 また、正面貫通路上の行き先表示窓は塞がれていますが、これは北陸地区では 冬季トンネル内に出来たツララで破損する事故が相次ぎ、471系など国鉄時代か ら北陸地区で使用される車輌は塞がれていました。413系も鉄板をHゴムで支持す る準備工事の形で登場し使用はされませんでした。JRになってから溶接で塞ぐ工 事を受けました。 このように413系は、民営化されるまでの国鉄の状況、形式付与体系、地域特 性など興味ある車輌となっています。JR東日本からは国鉄形は急速に姿を消して しまいましたが北陸ではまだまだ現役です。 クモハ717-1もトップナンバーとして掲載しておりますのでご参照下さい。 (2009年8月 T・O) |