トップナンバーアルバム

前面ガラス支持が金属押さえとなったり、戸袋窓は埋められているものの雨どい、 客室窓枠、
ベンチレータなどはオリジナルのようです。 後に連結されている更新車両と比較するとよく判ります。
天王寺駅 2006年5月27日


 あまり記憶にないのですが、私のつぶやきが友人に火をつけてしまったようです。 これからも、どんどんつぶやいてトップを捕獲してもらおうかな? (2006年6月 H・T)
 4年前、ノーブルジョーカーメンバーのH・Tさんが 「大阪環状線にはクハ103のトップナンバーがまだいるんだよなぁ」 と話しているのを聞き、密かにこのトップを撮ろうと関西に行く度に、 環状線に行きましたが、日中ではかなりの車輌が森ノ宮車庫で休んでおり、 トップが営業運転している姿を見ることは出来ませんでした。
 今回、たまたま関西線の久宝寺に用事があり、大阪駅から環状線に乗ると、 東海道から転属してきたスカイブルーの201系がいたので、 「環状線のスカイブルー201系でも撮っておこう」と直線で見通せる桃谷駅で降りました。 すると後続車がクハ103-1で慌てて、正面と車番を撮り、乗車!天王寺駅で降りました。 快速待避で時間調整をしたので、暗く条件は悪かったのですが関西線ホームから撮影してみました。 その後、用事が済み再度狙ったのですが、いつの間にか外回りから内回りに運用が変わっており、 時間切れでシャッターチャンスを逃しました。
 さて、このクハ103−1ですが、実は二代目です。 1963年(昭和38年)3月にオールMを基本としてデビューした101系(最終的には付随車を組込み) より経済性を重視した(M:T比率 1:1)車輌が試作され、試験を開始しました。 Tc+M-M'+Tc X 2 の8連で形式が103系となり、「1〜」から番号が付与されています。 期待通りの試験結果で、量産決定となり、1964年(昭和39年)5月に量産車が落成しています。 番号は改めて「1〜」から付与され、この車輌が現在のクハ103−1です。 なお、試作車は量産開始前に「900番代」へ改番されています。 当初は、池袋に配置され山手線に、その後京浜東北線に転属(配置は下十条→浦和)しましたが、 山手・京浜東北線ATC化に伴うクハ取替えで環状線へ転属しました。 結果として同僚だった浦和に残ったモハは冷房改造もされず廃車されていますので、 運が良かったといえます。
 車齢40余年、今後、環状線には201系が続々と転属してきますので、 どうなるか気がかりです。日本の通勤電車に大きな足跡を残した103系トップナンバー、 出来る限り現役で活躍して欲しいものです。
(2006年6月 T・O)


環状線の103系は前面窓の左下に車体番号の標記があります。  桃谷駅 2006年5月27日

更新車では、車号標記を車体の端につけているものもありますが、 クハ103−1は国鉄時代のまま中央にあります。
桃谷駅 2006年5月27日