トップナンバーアルバム

昭和54年2月26日 福知山


 学生時代の撮影旅行には周遊券を使っていました。 周遊券だと急行の自由席まで乗れましたので、客車急行のほか電車の153系・165系、 気動車のキハ28・キハ58等にもよく乗ったものです。 しかし、当時すでに特急がずいぶん走るようになっており、 急行はどちらかと言えば地味な存在だったように思います。 それが証拠に、急行の撮影をメインに出かけたという記憶がないんです。 よく乗った割には撮っていない急行型から、今月はキハ58形をご覧いただくことにしましょう。
 キハ58形の説明は今さら必要もないでしょうが復習です。 キハ58形は昭和36年から10年余りに渡って製造されています。 1個エンジンがキハ28形、2個エンジンがキハ58形、1個エンジンの1等車(現在のグリーン車)がキロ28形、 その2個エンジン(中央東線用)がキロ58形ですね。 この他に碓氷峠越え用に空気バネ台車としたキハ57形、キロ27形、 北海道用のキハ27形、キハ56形、キロ26形で一族が構成されています。 登場年度はいずれも昭和36年ながら、派生形式のほうが僅かに落成が早く、 若い形式番号が割当られているのは興味深いところです。
 ところで、気動車の形式は十の位の1から4が1個エンジン、5が2個エンジン、一の位は0から4が両運転台、 5以降が片運転台で8が中間車だったように記憶しています。 キハ17系やキハ20系、キハ55系あたりまではこの規則が当てはまるのですが、キハ58形からは崩れています。 ここで規定の改定があったのな?
 キハ58形でも番号でグループ分けをされてのですが、何番代という呼び方をあまりしませんね。 1から312のあと、長編成対応車が401から799と1000から1052、修学旅行用が801から819、 パノラミックウインドウ、冷房準備車のマイナーチェンジ車が 1101から1143、その寒地仕様が1501から1534となります。
 この1番は非冷房のまま終わりましたが、多くは冷房化されています。 ここで電車や客車よりもクーラーの数が一つ多いことが疑問でした。 そこで調べてみると、キハ28形、キロ28形、 キハ65形に積んだ3両給電の発電用機関4VK、発電機DM83の仕様は3000rpm、400V。 電車の電動発電機の仕様は入手できませんでしたが、スハフ12形やスハフ14形の電源は60Hzで440Vでした。 つまり、電圧と周波数が低い分だけ冷房能力が落ちるので、台数を増やして補った、ということなんですね。 どこかのWEBには「混雑を想定し」と書かれていましたが、これは誤りですね。 もう一つ「車両限界をクリアするため張り上げスタイルを採用した」という記述もありましたが、 キロ28形の最終増備車は雨樋位置が下がりましたので、これも誤りでしょう。

 色々と調べて泥沼にはまってしまったので、最後に模型的に気になる製造年による外観の変化も調べてみました。
401以降(昭和37年途中から)客用ドアの下部に丸窓を追加
474以降(昭和38年途中から)タイフォンのシャッタを標準装備
522以降(昭和38年途中から)乗務員室側窓の水切りを下端まで延長、 ドアのガラスに「自動開閉」を表記
549以降(昭和39年から)ドアの表記を「自動ドア」に変更、運転席側窓のバランサー点検蓋を設置
655以降(昭和40年から)デッキに通風器を追加、便所・化粧室のガラスを石目模様に変更
734以降(昭和40年途中から)後部標識板廃止にともない尾灯を車体外部から点検できる構造に変更、便所窓を小型化
以降、マイナーチェンジ車の項目は省略。

 現役は引退して久しいのですが、いすみ鉄道でキハ28形が走っているのは嬉しい限りです。 (2016年2月 H・T)


この時にはまだ客車も健在でした。  昭和54年2月26日 福知山 742レ

KATOのキハ58形(16番)を検証してみましょう。  尾灯は内側構造、タイフォンのシャッタあり、デッキの通風器なし、乗務員室側窓の水切りは延長なし、 側窓下の点検蓋なし、客用ドア下部の丸窓あり、後天的改造がなかったという条件であれば、 474から548と401から473のうちの寒地向けが該当番号になります。