オハフ33 1525

森さんから画像を提供いただき平成26年(2014)4月にオハフ33 1525を掲載した時点では 「あきらかな車体振替が認められます」でしたが、 このたび鉄道友の会客車気動車研究会の藤田さんから車体振替前のオハフ33 1525の画像を提供いただきました。 これで車体振替が確定しましたので、画像を追加し解説を修正いたしました。
(2021年8月 H・T)


オハフ33 1525は、昭和40年2月に小倉工場でオハ35 1007を改造。 コロ軸受けのTR34を履いているので1500番代とされ、戦後設計の車体なので近代化改造を同時に行っています。 改造時の配置は熊本、45年度に都城、46年度に鹿児島に移動し55年9月に廃車になりました。
画像はオハフ33 1525(初代)です。 絞り折り妻に鋼板屋根なのですが、珍しく鋼板屋根にキャンバスが張られ、 種車のオハ35 1007の特徴を受け継いでいます。
昭和42年(1967)1月30日  東京駅  撮影:沢柳健一さん


オハフ33 1525に改造される前のオハ35 1007で、 絞り折り妻にキャンバスが張られた鋼板屋根が特徴です。 近代化改造前なのでトイレ窓は原型、 塗色はぶどう色ですが撮影日が不明なのでぶどう色2号とぶどう色1号のどちらかなのか不明です。
写真所蔵:藤田吾郎さん


画像はオハフ33 1525(二代目)です。 戦後製のきのこ折り妻にキャンバス張りの屋根、近代化改造を受け塗色は青15号、 便所・洗面所の窓は2段中折れタイプ(これは39年度後半以降の改造の特徴)です。 初代とは明らかに車体が異なることがわかります。 また、床下機器の配置はオハ35形の改造車とは異なり、 オハフ33形として新製された車両の配置になっています。 これは、車体振替が行われていたことによるものです。
昭和53年8月  宮崎駅  撮影:森 美久仁さん



オハフ33形の新製車とオハ35形からの改造車とでは、 床下機器の配置が反転しているのですが、 それは下記の理由によるものです。 国鉄の車両は向きが定められていて、公式図面上の左側が前位、右側が後位となります。 前後の決め方ですが、総裁達319号では(リンク集の客車列車の旅>客車資料館>客車の前後左右についてをご覧ください)
前位を
   (4)イ.手ブレーキ装置のある場合は、手ブレーキのない側
      ニ.各等全室で一端に便所のある場合は、便所のない側
       (関係箇所を抜粋)
と定めています。オハ35形ではニが適用され便所側が後位(図面上の右側)、 オハフ33形ではニよりもイが優先され、便所側が前位(図面上の左側)となります。 しかし、床下機器の配置の前後は公式図面上のオハ35形、オハフ33形とも同一なので、 オハ35形を緩急車改造したオハフ33形は、 オハフ33形として新製された車両とは床下機器の位置が反転することになるのです。

車体振替ですが、廃車と検査で同時期に入場した同一形式があり、 検査入場した車両よりも廃車の車両の状態が良かった時、 廃車車両に検査車両の番号をつけて出場させた事があるようです。 また、改造時に書類上とは異なる車両を種車とした例も見うけられます。 オハフ33 1525の振替が行われた時期と種車の推測ですが、 初代の画像が発見されましたので、緩急車改造時の振替ではありませんでした。 オハフ33形に改造後に絞られましたので、二代目の特徴からオハフ33形きのこ折り妻で近代化改造を受けており、 写真撮影の昭和53年8月以前に廃車となった番号を探すと358、396、2515、2516の4両が該当します。 この4両の条件を検討すると、昭和53年2月に熊本で廃車になった358の可能性が高いと思われます。 おそらく、熊本区で廃車になったオハフ33 358が鹿児島工場に送られ、 同時期に鹿児島区のオハフ33 1525が検査入場し、車体振替を行ったと推測しています。 藤田さんにはオハ35 1007とオハフ33 1525(初代)の画像、オハフ33形の資料を提供いただきました。 これらにより車体振替の事実を確定することができました。ありがとうございました。


オハフ33 1525(二代目)と車体の共通点が多く、車体振替元の可能性が高いオハフ33 358。
昭和48年8月21日 急行「屋久島」 真鶴 撮影:H・T