鶴見界隈(1)高島線のD51



 昭和41年4月〜44年3月の間、中学校へは根岸から田町まで京浜東北線で通った。 早起きはつらかったが、車窓からの鉄道情景はバラエティに富んでいて、鉄道好きの 中学生にとって飽きることがなかった。
 根岸駅のホームは日本石油に隣接しており、多くのタンク車がたむろしていた。 タキ9800、9900やタキ45000、35000、タキ50000などが多かったが、タキ10200やタキ64000などという稀種もたまに見掛けることができ、そんなときは何か良いことがあるような気がして嬉しくなったものだ。
 桜木町までの間で、DD13の重連が牽引するタンカー列車とすれ違うのも楽しみだった。入替用のDD13とはいえ、長い列車を牽いて重連で本線上を突っ走る姿はなかなか見応えがあった。


103系の車窓から
103系の車窓から
 通学途中で最も面白かったのは、鶴見周辺だった。 この界隈では高島線のD51、鶴見線の17m旧型国電、少し足を伸ばすと日本鋼管の小型蒸機を見ることができ、近場でありながら見るべきものが多かった。 ただあまりに身近すぎて、いつでも撮せるという安心感から却ってまじめに取り組まずに過ごしてしまったことを今さらながら後悔している。  中学校の帰りに、ちょっと寄り道して気軽に撮した写真を紹介する。


京浜東北線のホームから
京浜東北線のホームから
跨線橋から
跨線橋から
新子安〜鶴見
新子安〜鶴見
D51 296号機
D51 296号機
コンビナートをバックに
コンビナートをバックに
首都高の下を往く
首都高の下を往く



毎日D51を見ながら東京の学校へ通うというのは、今思えば何と贅沢なことであったか・・ 贅沢といえば、毎晩、街が寝静まる頃には横浜機関区の方からD51の汽笛が聞こえてきたものだった。 時には、絶気合図ともとれる「ボー、ボッ、ボッ」という汽笛が聞こえ、「重連?」と胸をときめかせたのも懐かしい。