陰陽連絡線はいくつかありますが、その最も西にあるのが美祢線です。
途中に秋芳洞という観光地を抱えていますが、国鉄の路線としては地味な
存在でした。1970年当時、趣味誌にも
あまり紹介されたことのない美祢線でしたが、列車ダイヤを見ると
ローカル線とは思えないほどたくさんの貨物列車が走っていました。
(これは美祢から宇部・小野田へ石灰石をピストン輸送するための列車
ということを後で知りました。) もちろん、これらの貨物列車の牽引機は
蒸気機関車ですが、当時としては珍しくもないD51とC58だったためか、
本数が多い割には話題になることは少なかったようです。
私が美祢線の蒸機を撮影したのは2日間だけでしたが、そのときの写真を
2回に分けて紹介したいと思います。1回目はD51の牽く石灰石列車です。
(2003年7月 T.O)
1970年の夏休み、山陰方面への撮影旅行の最後に美祢線を訪れることに
しました。米子から夜行急行「さんべ3号」で長門市まで行き、美祢線に
乗り換えました。どこで撮影するという予定もなく、ロケハンしながら
乗ってみて適当な駅で下車して撮影するつもりでしたが、夜行列車での
寝不足のためか美祢線ではぐっすり眠ってしまい、目が覚めたのは
終点厚狭の1つ手前の湯ノ峠という駅でした。そういう理由で偶然
下車した場所ですが、厚狭川沿いの好撮影地だったことはまさに
怪我の功名でした。
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