羽越・米坂線紀行 −秋の坂町−
昭和43年9月



 ヨンサントウを一週間後に控えた9月21日、秋分の日の連休を利用して友人と3人で 米坂線乗りつぶしを計画した。米坂線は前年8月の水害により玉川口−小国が長い間不通になっていたが、 この6月に復旧したばかりだった。我々は連休前で混雑した上野発秋田行き上越、羽越線経由の 鈍行1821列車に乗り込み坂町を目指した。
 上野を22時03分に出発した1821列車はEF58に牽かれ翌朝6時42分に新津駅に到着した。 新津では約50分の停車時間があるので、ホームの立ち食いそば屋で朝食をとった。 9月とはいえ新津の早朝は肌寒かったが、そこで食べた天ぷら蕎麦は、ことのほか旨かったのを 今でも覚えている。その間に牽引機はEF58からC57に付け替えられ、7時30分に秋田に向けて出発した。

新津駅の1821列車
新津駅の1821列車
朝の貨物列車
朝の貨物列車
米坂線の旅客列車
米坂線の下り旅客列車
米坂線下り貨物列車
すすきの中を行く米坂線貨下り物列車

山へ向かう米坂線の貨物列車
山へ向かう米坂線の貨物列車
 8時48分、坂町に到着した我々は、坂町の秋田寄り、羽越線と米坂線が分かれるあたりで 列車の写真を撮りながら半日を過ごした。
 当時の米坂線には米沢−坂町を直通する旅客列車が上下7往復設定されていた。 気動車急行列車”あさひ1号、2号”の2往復以外は全て9600牽引の旅客列車であった。 その他の9600牽引の旅客列車としては、米沢−小国、小国−坂町に各1往復と越後下関発坂町行の1本が 設定されていた。
 羽越線は優等列車は無煙化されていたが、鈍行旅客列車にはC57が、 貨物列車にはD51が活躍していた。
 我々は9時から午後3時ごろまで線路際で写真を撮りながら過ごした。 当時は列車を待つ間が非常に長かったと記憶していたが、 ネガを見てみるとその間に9600,D51,C57牽引の列車が15本撮影されているので、 今思うとかなり頻繁に蒸機牽引の列車が走っていたのであった。 午後3時過ぎにその場を離れた我々は坂町機関区を訪れることにした。
上り貨物列車
坂町に進入する羽越線上り貨物列車

羽越線下り貨物列車
羽越線下り貨物列車
疾走するC57
C57牽引の羽越線上り旅客列車
下り旅客列車
坂町を出発する羽越線下り旅客列車

 我々は機関区の事務所で許可をもらい早速扇形庫へと向かった。
 機関区は時折9600とD51が出入りする他は閑散としており、 休車体のC11と9600が寂しげに置かれていたのが印象に残っている。
 当時我々には珍しかったロータリー車やラッセル車などの写真を撮り、機関区を後にした。
転車台に乗るD51
坂町機関区の転車台に乗るD51
休車の49861
一種休車で置かれていた49681

ロータリー車
ロータリー雪かき車 キ600型
ラッセル車
複線用のラッセル車 キ550型
マックレー車
マックレー車 キ900型

 我々は17時20分発の米沢行き最終の132列車に乗り込み坂町を後にした。 132列車は9600に牽かれ20時49分に米沢に到着した。
 9月22日は折しも奥羽本線福島-米沢間の 直流から交流への転換の当日で、ダイヤは大幅に乱れており、 我々が乗る予定の青森発上野行き鈍行422列車も大幅に遅れていた。 列車を待つ間、米沢に取り残されたEF64がEF71の次位につながれて出発してゆく様子などを みて過ごした。
 422列車はDD51に牽かれ約2時間遅れで米沢に到着した。 列車に乗り込んだ我々は前夜の疲れもありすぐに寝込んでしまったが、 翌朝EF58に牽かれて上野に到着したときは信じられないことに、 遅れを40分までに回復していた。