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私が鉄道の写真を撮り始めたのはヨンサントウ前後の1968年頃からですが、 そのころから1970年代前半までが寝台特急が最も輝いていた時代ではないでしょうか。 ヨンサントウ以後、昼間の特急が大増発され特急の一般化がすすみましたが、 その中でも寝台特急は特別な存在であり続けました。 航空機網が発達していなかった当時、長距離移動の主役は鉄道であり、 座席車が主体の急行列車に比べ全車冷房完備の寝台特急は憧れの的でした。 それを裏付けるように、お盆や年末年始などはみどりの窓口に1番に並んでも 寝台券が取れないほどの人気でした。 その人気を反映し、このころから夜行列車の寝台化が推進され、 寝台特急の増発と夜行急行列車の寝台車比率の増加が加速されていきました。
寝台需要の増加と効率的な車両運用を目的として1967年に寝台電車581系が開発され、 同年より月光号として運用が開始されていましたが、 寝台はB寝台だけであり寝台特急としては何か物足りない感じがします。 その点、寝台特急としての貫禄を備えているのはやはりブルートレインではないでしょうか。 動くホテルを標榜して登場した20系を嚆矢とするブルートレインも、その後14系・24系と進化し、 活躍の場を全国に広げていきました。
そのブルートレインも昨今は新幹線と航空機の板ばさみで活躍の場が狭まっています。 今年(2005年)に入ってからだけでも「あさかぜ」、「さくら」、「彗星」が廃止されるなど、 寝台特急の縮小傾向に歯止めがかかる様子はありません。 今回は減り行くブルートレインの最盛期の姿をご紹介したいと思います。
ヨンサントウの頃、東海道新幹線開業に伴い東海道本線から昼間の特急は消えましたが、
九州へ向かうブルートレインは相変わらず健在でした。
14系、24系が登場する前ですから、客車は20系で牽引機はEF65 500番台です。
私は今でもブルートレインと言うとEF65 500番台に牽かれた20系客車を連想してしまいます。
また、当然のことながらブルートレインという言葉自体も20系の代名詞でした。 当時は都内に住んでいたにもかかわらず、たまにしかブルートレインを撮りに出かけませんでしたが、 朝、次々と九州から上ってくるブルートレイン群は圧巻でした。 今から思えばもっとたくさん撮っておけばと後悔している今日この頃です。 当時はまだ瀬戸、出雲は急行列車として運転されており、 ブルートレインの仲間入りするのは1972年になってからです。 (2005年11月 T.O) |
東京駅に進入する「みずほ」 |
ブルートレインの本家本元「あさかぜ」 |
堂々の15両編成 |
終着駅東京へ向けてラストスパートする「みずほ」。
最後尾はパンタ付の電源車カニ22。 |
東京駅で出発を待つ九州へのトップランナー「さくら」 |
品川客車区で休む「富士」と「はやぶさ」 |
大井町駅を通過する「はやぶさ」 |
最後まで20系で残った「あさかぜ」 |