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501形 512(更新前) 天六

501形 528(更新後)

<501形>
 1911〜15年からは、東西、南北線を中心に市街地を結ぶ縦横の路線が開業しました。 その時に作られたのが501形です。 大阪市電の最初のボギー車で、マキシマム台車を履いた高床式の車輌です。 (マキシマム台車;台車片側の車輪径を大きくしてモータを載せ、もう一方は車輪径が小さい。 ボルスターピンもモータを載せた側にずらして、粘着性を上げている。) エアブレーキ付、GE製の電装品と当時の最先端技術を採用した車輌で、1911〜13年に かけて100輌も製造されました。晩年は広島電軌などに売却されました。 この車輌も201形と同じく1940年頃、羽目板の垂直化、扉の取付け更新工事をしています。



601形 649 中の島


<601形>
1915年頃製造された車輌でややオトナシイ存在です。、50輌全てが築港庫所属でしたが、 第二次世界大戦の空襲で被災し、ほとんど廃車されたようです。



<801形>
昭和に入ると経済不況の影響を受け、市電も合理化が求められるようになりました。 その為、乗車効率向上目的で大型の1001形の電装品を使って1932年に製造された中型 車輌です。車掌が二人必要な3扉の1001形に対して、車掌一人乗務の2扉左右非対称と して登場しました。また、この“804”を含む“801”〜“805”の5輌は中央扉が両開きですが、 以降は片開きとなり、さらに“828”、“829”はクロスシートを採用していました。
801形 804 中の島



2011形 2018 阿部野橋

2011形 2020 阿部野橋

<2011形>
 1930年代半ばに流線形が流行り901形が登場しましたが、サイドが“く”の字をしており、 現場の方々は保守が大変だったようです。その影響でしょうか、サイドが垂直で登場して いますが、窓は大型化されスマートな車体で200輌近く製造されました。 戦後も861形に改番され活躍しました。




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