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 1964年(昭和39年)10月1日に「夢の超特急」が実現してから、 早いもので40年の歳月が流れました。戦前の弾丸列車構想から始まり、 本格的な開発に着手してから開業するまでは色々と苦労があり、 研究・試験は多岐に亘っていたようです。もちろん、 200km/hを超えて走る鉄道は経験がなく、 実用化のために鴨宮〜綾瀬間(当初は鴨宮〜大磯間)に実験線を敷設しています。 (その後、本線に転用)
 東海道線鴨宮駅に西側に車輌基地(現在の保線基地がある場所)があり、 見学もできたので近所の方々が「物珍しさ」もあってよく来ていました。
 また、友人が国鉄に勤めていたので、 頼み込んで公開試運転にも乗車させてもらっています。  鉄道博と同じく、固定焦点・ハーフサイズのカメラですので写りは良くありませんが、 懐かしい車輌も写っていましたので紹介いたします。( )内の年月は撮影月

 1963年(昭和38年)に大磯へ引っ越したので、 すぐに鴨宮へ「夢の超特急」を見に行きました。 車庫には右側から1002(後の941-2)、4001(921-1)が見え、 さらに奥の東海道本線を休日運転の101系が走っています。 手前の線路は実験本線で、ここから左側に向かい綾瀬まで延びていました。 実験線には、A・B編成や軌道試験車が配属され、スピード向上試験やACT、 車輌性能、車輪磨耗、ブレーキ、気密試験、軌道、 高速すれ違い試験などを行っていました。


鴨宮基地(1963年4月)

試験車輌
・A編成(1001+1002)
1962年(昭和37年)6月に登場したMc1+Mc2輌編成で、 その年の8月には電気試験車に改造され、測定機器を積み込ん でいます。 新幹線開業後は、搭載していた試験設備をB編成に譲り、 救援車として鳥飼基地に待機していましたが、幸いにも一度も 出動することなく、浜松工場に新幹線車輌の廃車解体設備が 完成するとそのテストに供されました。



1001 (1964年4月)
試験車時代には観測用パンタが前方にあり、新幹線唯一の前パンタ車です。 このA編成の塗り分けは白色をベースに、上下にブルーの帯を入れたものでしたが、 採用されませんでした。余談ですが、いま見ると留めてあった留置線の架線設備は、 「これで、25,000kv流すの!」 と思うほど貧祖な感じです。

1002 (1963年4月)
最初に鴨宮基地を訪れた時は、1002のみが留置され、 どういう訳か相棒の1001はいませんでした。 運転席下の車番表示窓には、A編成が「A−021」 、 B編成には「B−021」と表示していますが、「021」は 営業時の最高速度 210km/h と「21世紀の夢の電車」 という意味を表していたと聞いたことがありますが、その 真意は定かではありません。「A−001」は軌道試験車がつけていました。
試験のため、パンタグラフは2基搭載していました。 そして、車番も車体中央に大きく表示されていす。



・B編成(1003+1004+1005+1006)
4輌編成で、A編成と同じく1962年(昭和37年)6月に登場し、 主に高速運転試験で活躍していました。 開業後は、A編成より電気試験設備を譲り受け、電気試験車「922」として活躍しました。

1963年(昭和38年)3月30日に樹立した当時の世界最高速度256km/hの 記念プレートを車番表示窓の下に誇らしげにつけています。 色はエンジ色であったような記憶があります。


1006他4連 (1964年4月)
A・B試験編成の先頭車の内、1001、1002、1003の運転席ガラスは曲面5枚構成で、 1灯のライトもあって、どことなく愛くるしい顔つきでしたが、 この1006のみ平面4枚構成の精悍な顔つきで、0系量産化はこのタイプが採用されています。 また、車体の塗装もB編成案が採用されました。


曲面ガラス5枚構成の正面
(1002 1963年5月)

・軌道試験車(4001)
高速運転を行うため、レールの高低、幅などが従来より厳密に要求されることになり、 さらに160km/hで検測できるように911ディーゼル機関車に牽引されて検測し、 また20km/hで自走もできました。(開発後に製作された921-2は自走不可)


鴨宮基地の4001 (1963年4月)
黄色にブルーの帯を巻いたが検測車であることを感じさせるとともに、 正面から見ると車体の幅がとても広く、「さすが標準軌の車輌だなぁ」と感じた車輌です。 運転台の下、台車の前にある箱は潜望鏡を逆さまにしたようなもので、 台車を観測するための装置です。 カメラが小型ではなく、映像も良くなかったので、 人の目でも直接監視できるようにしたようです。 開業後、921−1に改番され、東海道新幹線だけではなく 東北新幹線の小山試験線でも活躍しました。


4001と東海道を下る111系 (1963年4月)
現在、東海道線の東京口にはE231系が進出し始めていますが、 この頃東海道線の通勤混雑に対処するため111系が80系・153系 と本格的に置換わり始めていた頃でした。(運用開始は1962年6月のダイヤ改正から)



公式試運転
現在のリニアモーターカーの試乗会のように、高速試験が一段落した頃、 公開試運転を行っていました。



仮設ホームに進入するB編成
(1963年5月)

256km/hはすでに記録をしていた時期ですが、まだ記念プレートは取り付けられていません。
試験電車に乗車するため、右手の鴨宮駅から続々と人が集まってきいます。
右側の線路は鴨宮基地へ入るための線路です。





B編成の1004から乗り込む招待客
(1963年5月)

従来の電車のパンタグラフに比べ、極めて小型であったことが強く印象に残っています。
この1004はX柱鋼体を使用し、外板を通常の1.6mmから1.2mmに薄くしています。
また、A・B編成ともに乗降用のドアはプラグドアとなっていましたが本採用されませんでした。

公開試運転時のB編成車内
(1963年5月)

200km/hで走る電車は初体験で、揺れも少なく、車内も静かで感動しました。 また、座席の上には測定機器が置かれたままで、試運転の雰囲気がいっぱいでした。 座席は色々とありましたが、1004は転換式ベンチシートです。






量産試作車



1964年(昭和39年)に入り、開業も近くなってくると量産試作車も鴨宮基地に到着しました。 C編成とも呼ばる6輌編成で、写真は東京方の先頭車で22−1です。 この車輌は幸いにも大阪弁天町にある交通科学博物館で保存されています。

B編成(奥)と並ぶ量産試作車
(1964年4月)

よく見るとB編成の先頭で、家族連れが記念撮影しています。






新幹線開業前の東海道本線
この頃の東海道線は、東海道の花形特急としては6年間しか活躍できなかった151系「こだま」型や、 151系の補完特急157系“ひびき”、修学旅行用155系“ひので”・“きぼう”などが 東京〜大阪間を行きかっていました。
また、休日にはATS−Sを取付けた101系も小田原まで顔を見せていて、 線路際にいても何時までも飽きない時間を過ごすことができましたが、 いずれの車輌も大分昔に過去のものとなってしまいました。あぁ〜残念!

“こだま”  (1963年10月 平塚)
“きぼう”(1963年5月 大磯)
101系 休日臨 小田原行  (1963年4月 鴨宮)
“ひびき”  (1963年7月 大磯)


最後に、開業したときに駅で配布された新幹線の時刻表(下り)です。 ひかりには「超特急」の表示があり、日本中が開業を喜びました。また、 山陽・九州連絡には懐かしい名前が並んでいます(筆者だけかも・・・)。

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