廃止線回想(4) 天北線




浜頓別を出発する貨物列車
 私がはじめて「天北線」に乗車したのは、全くの偶然からでした。
 その日は朝から稚内で、機関区を訪れたり、C55やキュウロクを 撮影して1日をすごしました。日中は良い天気でしたが、夕方から 一転して猛吹雪となり宗谷本線は不通になってしまいました。 帰りの急行「利尻」は運休かなと思っていたところ、 なんと天北線経由で運転するとのアナウンスがありびっくりしました。 その日の「利尻」は、本来の本務機C55の前にキュウロクの補機を つけて運転されました。 このとき初めて「天北」は「テンポク」と読むことを知り、 なんとなく親しみを覚えた記憶があります。 (それまでは「テンボク」だと思っていました。読みの中にパ行の 音が入っているとなんとなく北海道らしくて好感がもてますね。)
 私が撮影のために天北線を訪れたのは、天北線経由の「利尻」に乗った 1年後でした。


浜頓別へ向かう貨物列車
DD13の除雪車


足回りを雪で真っ白にしたキュウロク
稚内機関区のキュウロク



天北線は宗谷線を補完する路線としての性格を持っており、 私が訪れた1970年には、3本の稚内−札幌直通急行のうち1本が 天北線経由で運転されていました。また当時、札幌方面から稚内へは、 宗谷本線経由、天北線経由、直通はありませんでしたが羽幌線経由の 3つのルートがありました。天北線と羽幌線が廃止された現在、 稚内へのルートは1本だけになってしまいました。輸送量からすれば、 1本あれば十分だとは思いますが、災害などを考慮すると これでいいのかなと考えてしまいます。 尤も、鉄道への依存度が昔に比べ低くなっている現状からしかたのない事なのでしょう。


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