廃止線回想(9) 名寄本線




 1987年の国鉄からJRへの移行に前後して多くの路線が廃止されました。 しかし、本線と名がつく路線で廃止されたのはこの名寄本線だけではないでしょうか。 北海道東北部には、名寄本線のほかに天北線、興浜南線、北線、渚滑線、湧網線など いくつかの路線がありましたが、いずれも名寄本線より先に廃止されていました。 名寄本線の廃止はJR移行の2年後の1989年ですが、これにより、 北海道東北部のオホーツク沿岸地域から鉄道は姿を消しました。
補機運用のキューロク


 名寄本線は宗谷本線名寄からオホーツク沿岸の興部、紋別を経て石北本線の遠軽に至る 138.1kmと、中湧別−湧別間4.9kmの路線です。石北本線開通前には、 札幌、旭川と北見(野付牛)、網走を結ぶメインルートでしたが、 その役割も既に失われていましたので廃止もやむなしということだったのでしょうか。
 私が訪れた1971年当時、旅客列車はすべて気動車で運行されていましたが、 他のいくつかの路線同様、貨物列車が運行されキューロクがその任に就いていました。 途中、一の橋−上興部間の天北峠ではキューロクの重連や後補機つきの列車も 見ることができました。



峠に挑むキューロクの貨物

一部の貨物列車は重連も見られた
名寄では宗谷本線のC55とも顔合わせ



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