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一目で「三陸鉄道の車両」と分かる列車が、大渡川橋梁(釜石〜平田)を渡っているところです。 先頭が36-207、後ろが36-101。
2019年6月23日 釜石〜平田

36-101は航空会社の宣伝ラッピング車となっていました。
2019年6月23日 釜石〜平田


 国鉄から見放されて三陸鉄道としてスタートしましたが、 車両の番号が36-××なので36形の100番台、200番台だと思い込んでいました。 どうやら36-100形、36-200形だったようです。 今月の友情出演は三陸鉄道シリーズをご覧ください。
(2019年9月 H・T)
飛行機イラストのため「36-101」表記がずれています。
2019年6月23日 釜石〜平田


 2019年3月23日、東日本大震災で不通となった山田線宮古〜釜石間が復旧、 さらに三陸鉄道へ経営移管され、久慈〜盛間 163kmがリアス線として再出発をしました。
 三陸沿岸を結ぶ鉄道は、1896年(明治29年)に三陸地震が起きた時、 リアス式海岸の急峻な地形が救援物資の輸送を阻んだことで、 復興策として「三陸縦貫鉄道構想」が生まれたことに端を発しています。 1928年(昭和3年)宮城電気鉄道が仙台〜石巻間を(現在の仙石線)開業、 1930年(昭和5年)、本八戸〜久慈間(八戸線)が開通しました。 1933年(昭和8年)には昭和三陸地震が発生しましたが、その後も大船渡線、山田線、 気仙沼線、柳津線、宮古線、盛線、久慈線が開業、路線を伸ばしました。 しかし、国鉄財政悪化で建設が凍結されてしまいました。 そして、ようやく開通した盛線、宮古線、久慈線も第一次特定地方交通線に指定され、 廃止が決定しましたが、岩手県と沿線の市町村が第三セクターを設立、盛線、宮古線、 久慈線を引継ぐことになりました。 また、一部はレール敷設まで終わっていた未開業区間の工事も進めて、 1984年(昭和59年)久慈〜宮古間の北リアス線、釜石〜盛間の南リアス線が開業しました。
 これで八戸線、北リアス線、山田線、南リアス線、大船渡線、 気仙沼線と三陸沿岸がレールで繋がりました。 その時に投入されたのが、 前面窓に角度を付け貫通路を強調させた特徴あるデザインの36-100形と36-200形です。 北リアス線に新潟鐵工所製の36-100形7両、36-200形3両の計10両、 南リアス線には富士重工製の36-100形3両、36-200形3両の計6両を配置しました。 翌1985年には36-200形を増備し、北リアス線に2両、南リアス線1両を投入しています。 36-100形と36-200形は、動力や車体寸法など基本構造は同じですが、 36-200形には飲料水の自動販売機が設置され1ボックス分4名の定員が少なくなり、 形式が分けられました。
 なお、形式の「36-」は、「三陸(さんりく=36)」をもじって付与されており、 以降製造した全ての車両が「36-」から始まっています。
 その後開業した多くの第三セクターが、 低コストのレールバスタイプの車両を導入していますが、 三陸鉄道では車体長こそ18mですが、車体の規格、台車など国鉄規格で製造されています。 1983年、国鉄が試作していたキハ37形の影響を受けています。
 燃料直接噴射式の新潟鐵工所製(現、IHI原動機)の6L13AS(国鉄形式はDMF13S) ディ―ゼルエンジンや国鉄気動車用台車DT22同等品を採用するなどに表れています。
 その後、エンジン出力UPするためDMF13HZに換装、冷房化されました。 さらに車齢が25年に達しリニューアル工事で、ブレーキの二重系統化、空気ばねボルスタレス台車、 NF01GD(動力)、NF01GT(附随)に交換し、1軸駆動から2軸駆動へ変更しました。 また、ATS-SNも安全度の高いATS-Psへ更新しています。
 強風による転覆事故や東日本大震災等で、廃車が出ていますが、現在も36-101は健在です。 ちなみに、今現在、36-100形は4両、36-200形4両が稼働しています。
(2019年9月 T・O)


製造当初の台車は、新潟鐵工所製NP-116D・NP-116Tでした。 写真は、36-202です。
2008年1月11日 久慈駅

現在、36-100形、36-200形の台車は、空気ばねボルスタレスのNF01GD、 NF01GTへ交換されています。写真は、36-209です。
2019年6月22日 宮古駅

台車部分を拡大したものです。
  2019年6月22日 宮古駅