トップナンバーアルバム

京急のホームから撮影した荷38レ。 今の混雑からは信じられませんが、ホーム上をターレットが台車を牽いて走っていました。 昭和54年の横浜羽沢駅の開業で荷物列車は東海道貨物線経由に変更されました。
昭和51年6月17日 荷38レ 横浜駅

スユ44形は区分室付のオユ11形・オユ14形、護送便のオユ12形・スユ15形と3両セットで 荷物列車の中央に連結されることが多かったようです。 スユ44形の運用範囲は汐留〜東小倉なので電気暖房の引き通しは装備していません。
昭和55年2月28日 荷32レ 広島駅


 「東急8500系260/400の記録」の連載中は、このトップナンバーアルバムをお休みしていました。 が、この連載が終わったのは4月、 気が付けば連載が終わって四か月が過ぎようとしているではありませんか。 ここらでトップナンバーアルバムに復帰しなければいけませんね。 ということで、復帰第一弾はちょっと古めのネタでスユ44をご覧いただこうと思います。
 スユ44形は、スニ40形の郵便車版で基本的に同形です。 兄貴分のスニ40形は、小荷物輸送の近代化を目指したパレット荷役の専用車で昭和43年、 44年に41両が新製されました。 ワキ10000形を基本としていますが、パレットのサイズに合わせて全長が850mm伸ばされました。 スニ40形、スユ44形ともB形パレットを24台積むことができ、荷重は17tです。 一般的に「パレット」と言えばフォークリフトで荷役するためのスノコ状の物を指し、 鉄道では側面総開きのワム80000とともに活躍したのですが、小荷物輸送に導入されたパレットはこれとは異なります。 物流業界ではロールボックスパレットに分類されるキャスター付の網台車と言えるものです。 キャスター付なのでホーム上はターレットに連れられて走り、人力で車両に積み込みました。
東京駅も東海道線用のホームは高さが920mmでした。 単純計算で17tを24台で割ると800kgとなり、 板を渡したスロープで積み込むのも結構な力仕事でした。
昭和51年2月19日 104レ 東京駅
 スユ44形はスニ40形と一緒に新製された訳ではなく、2年遅れの昭和46年に1〜4、 47年に5〜8、50年に9〜11、53年に12と小刻みに12両が新製されました。 様子を見ながら段階的にパレットの導入を拡大していたのでしょうか。 合理化を期待されながら小荷物、郵便とも一気にパレット化しなかった理由の一つはホームでした。 昭和4年改正の国有鉄道建設規程ではホームの高さ(レール面から)は、 電車専用1100mm、電車列車併用920mm、その他760mmと決められていました。 パレットの積み下ろしには車椅子の人が乗り降りする時のように板を渡す必要がありますが、 スユ44形の床高さは1040mmなので760mmのホームでは高低差が大きくて積み下ろしができません。 また、階段横のように狭い場所では積み下ろし作業ができないので連結場所が制約されるのです。
 このような制約もあり荷物車では従来形のマニ36形やマニ50形による老朽荷物車の更新が続きましたが、 昭和53年になるとマニ44形が登場しパレット輸送を拡大します。 しかし、小荷物輸送はパレット化だけでは宅配便と互角に戦うことができず、 昭和61年11月改正で小荷物輸送を廃止、 これに引きずられて鉄道郵便にも幕が下りてしまいました。 郵便のほうは郵便番号による機械仕訳が普及してきていただけに、 パレットと組合せることで生き残る道もあったのではないかと思うと残念です。
(2020年8月 H・T)