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昭和49年1月6日  東大宮 

昭和54年2月27日  日暮里 204レ 

窓が一つ塞がっているのは個室寝台のモックアップを作ったからと言われています。
この部分の屋根も切り開いたのか妙な跡が見えますね。
  平成9年10月25日  大船工場


 ナハネフ22形と言えば曲面ガラスを使った車掌室側のデザインが特徴ですね。 20系の顔でもありますが、微妙な曲線は模型での再現が難しく、メーカーによって表情が異なります。 この窓越しに去り行く景色を見送った方も多いのではないでしょうか。 もっとも、ウチのS・Nなどは平面ガラスを使った初期のナハフ20形のほうが好きだと言うのですが。 さて、今回は趣向を変えてナハネフ22 1の足跡を追ってみようと思います。

○新製 昭和39年5月15日 日本車輌で新製、配属は品川客車区
「富士」「はくつる」用増備車として製造。この時から全車寝台化することにな り、ナハネフ 22形とナハネフ23形が誕生。また、この増備から製造所は日車だけとなる。
◇昭和39年6月1日
「さくら」「はやぶさ」の14号車に使用
◇昭和40年10月1日改正
「富士」増結、「ゆうづる」「あかつき」用に増備があり、品川持ちのナハネフ 22形は 「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」に使用。
○転属 昭和47年3月14日 向日町運転所に転属
品川に14系寝台車が新製配置されたため向日町に転属し「あかつき」「彗星」に 使用。
○転属 昭和47年9月30日 青森運転所に転属
向日町に14系寝台車の第2陣が新製配置になり捻出された20系は「ゆうづる」増発と 「つるぎ」 新設に廻る。 青森持ちのナハネフ22形は「ゆうづる」2往復に使用。
○転属 昭和50年3月10日 尾久客車区に転属
新幹線博多開業のダイヤ改正では夜行列車に大きな変化、新製車は24系25形に移行になる。 尾久持ちの20系に「北陸」「北星」が新設される。
◇昭和51年10月1日改正
24系が青森に転属し、尾久に転属した車で急行「新星」「天の川」が20系化される。 尾久持ちのナハネフ22形は「北陸」「北星」と「天の川」に使用。
◇昭和52年10月1日改正
下関・広島に24系25形が投入され、転属車で尾久持ちの20系に急行「十和田」が加わる。
◇昭和53年10月2日改正
早岐から尾久に14系寝台車が転入し「北陸」「北星」を置き換え。20系は急行運用だけ となる。
◇昭和57年11月15日改正
東北・上越新幹線の開業で東北方面の優等列車に大きな変化がある。 尾久持ちの20系では「新星」が廃止、「十和田」が12系に置き換えとなる。代わって 20系には「津軽」が加わる。
◇昭和58年7月1日
「津軽」は混雑が激しいため季節列車の「おが」と運用を交換する。
◇昭和60年3月14日改正
「おが」は予定臨に格下げ、「天の川」は廃止となり定期運用を失う。
○廃車 昭和61年3月5日
廃車後は大船工場で保管されていましたが、めでたく大宮の鉄道博物館に収容さ れました。

参考文献:鉄道ピクトリアル444号・763号
(2008年7月 H・T)